先日、年若い友人と話をしていたら、珍しくもチュルリョーニスの名が出た。画家で作曲家でもあったミカロユス・チュルリョーニス(1875-1911)のことだ。その祖国であるリトアニアにも旅したことがあるのだという。
画家としてのチュルリョーニスの業績については、かつて池袋のセゾン美術館で回顧展があったので、そのときに観て知ったという方も多かろう。小生は迂闊にもこれを見逃してしまい、あとから地団駄を踏んで悔しがった。この展覧会はリトアニアにとっては国家的なイヴェントだったらしく、独立間もない同国からは最高会議議長(国家元首)ランズベルギスがわざわざ来日しオープニングに出席したという。
19世紀末から20世紀初頭にかけて彗星のごとく現れ、三十代半ばで夭折したこの特異な芸術家のことは、その展覧会の直前だったかに、行きつけの中野の輸入レコード店「サンタ・ディスコス」店主の渡辺三太郎さんに教えられたのだと思う。この方はたいへんな物知りで、ルネサンス音楽であれ現代美術であれ、向かうところ敵なしといった恐るべき博識の持ち主だった。その彼の口から「チュルリョーニスという人は注目に値しますよ」という言葉が漏れたのだ。にもかかわらず展覧会を見過ごしてしまったのだから、小生は救いようのない愚か者である。
セゾン美術館が閉館に追い込まれ、過去のカタログがバーゲン価格で売りに出たとき、この展覧会カタログを500円で入手できたのは嬉しかったが、その頁を捲るたびに悔しさが募るのを如何ともしがたかった。絶対に見逃すべきではなかったのだ、と。
その次にチュルリョーニスの存在を意識したのは、1996年にジョナス・メカスの映画『リトアニアへの旅の追憶』(1972)を久しぶりに再見したときのことだ。
戦後まもなく故国を離れて二十七年、ニューヨークに住むメカスははるばる懐かしい故郷を訪ねてお母さんと再会を果たす。その遙かなる旅の一部始終を愛用のオンボロ8ミリ・キャメラで撮影した「究極の」個人映画である。
ふるさとの村にたどり着いて、メカスの眼はついに最愛のお母さんの姿を捉える。慈愛に満ちた穏やかな微笑みが画面を充たし、手持ちキャメラは感動のため小刻みに打ち震える。
そのときである。かすかなピアノの調べが、どこか遠くからまるで天啓のように流れてくる。ひっそりと、平明素朴に、だがたまらなく胸を締めつける音楽だ。
それがチュルリョーニスだったのである。
そのあとは2001年1月のパリ。たまたま所用で訪れたついでに、ふと立ち寄ったオルセー美術館で、思い掛けなくもチュルリョーニスの回顧展をやっていた。いつか観る日があろうかと密かに願っていた彼の代表作のことごとくが、まるで小生の来訪を待ち構えているかのように、静かな展示室にずらりと並んでいた。こんな偶然があっていいものか、夢じゃないのか、と思わず自問自答した。
なんだか『リトアニアへの旅の追憶』が無性に観たくなってきた。できることならばスクリーンでもう一度。この映画と、ジャン・ヴィゴの『アタラント号』とは小生にとって一対の特別なフィルムだ。観るたびに泣いてしまう。少しも悲しい物語ではないのに、ただもう涙が滂沱として流れてくる。
もしいつの日かこの二本立が観られたら、感動のあまり死んでしまうかもしれない。