小学生時代を過ごした埼玉の公団住宅にはささやかな庭があり、その一隅には小さな樅の木が植わっていた。十二月になるとそれを掘り起こして鉢に移し、居間に運び込んで飾り付けをした。沼辺家は明治初年からロシア正教を奉じてきたのだが、父の代ともなると信仰心はすっかり薄れてしまい、キリスト教との接点といえばこの一本の樅の木があるばかり。そこに金属光沢を放つ硝子玉やら銀紙の星やらを括りつけるのは子供たちの愉しい務めだった。
いつの頃からか、そこに読書とレコード鑑賞が加わった。クリスマス・イーヴにはE・T・A・ホフマンの『くるみわりにんぎょうとねずみのおうさま』(
→ここ)の頁を繰りながら、チャイコフスキーの組曲「胡桃割り人形」を繰り返しかける。これが年中行事となったのはたしか小学四年生のときからだと思う。
そのとき読んだホフマンは今でも大切に書棚に並べられている。レコード盤のほうは長らく行方不明になっていたが、数年前に実家を片付けていて何十年ぶりかで忽然と姿を現した。
改訂小学校学校指導要領音楽準拠
音楽鑑賞レコード 第1集 第5学年
チャイコフスキー: 組曲「くるみ割人形」
第一部 小序曲
第二部 行進曲、こんぺい糖の踊り、ロシア舞踊トレパック、アラビアの踊り、中国の踊り、あし笛の踊り
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
日本コロムビア EE-107
1959年2月発売
心弾む予感に充ちた「小序曲」が始まると、もう夢心地になってお伽の国に引き込まれる思いがした。「こんぺい糖の踊り」でチェレスタの響きをはじめて知った。「中国の踊り」の摩訶不思議な異国趣味に陶然となった。思えばこれこそがクラシック音楽との出遭いだったに違いない。
「花のワルツ」が欠けているのはドーナツ盤の制約から。A・B両面併せてもわずか十五分しか収録できないのだ。
それから幾星霜。さすがにもう「胡桃割り」でもあるまいと、今宵は別の曲をかけて過ごす。
Handel: Messiah
Sara Macliver, soprano
Alexandra Sherman, alto
Christopher Field, countertenor
Paul McMahon, tenor
Teddy Tahu Rhodes, bass
Cantillation
Orchestra of the Antipodes
Antony Walker, conductor
10-14 July 2002, Sydney
ABC 472 601-2 (2002)