今日、というか、日付変更線を越えてしまったのでもはや、昨日、というべきだろうが、まことに盛り沢山な、感動的な一日だった。
晴天に促されるように家を出て、十一時少し前に日本近代音楽館に到着。早速、宿題の調べものを開始しようとしたら、司書の方から「申請された写真ができていますよ」と声をかけられた。
実は十一月の末に、プロコフィエフ財団からの依頼で、1918年に日本滞在中のプロコフィエフを撮った写真の複写を申請していたのだ。めでたく所蔵者の許諾が得られ、今度出る雑誌に掲載が叶うこととなった。こんな嬉しいことはない。
"Prokofiev in Japan" の特集にこれほど相応しい写真はあるまい。ここの責任者の林淑姫さんがおられたので、繰り返し礼をいう。この写真もそうだが、日本近代音楽館の協力がなければ、今回の論文は到底仕上げられなかっただろう。
調べものはほんの二十分で片がついたので、早々にここを後にして地下鉄とJRを乗り継いで吉祥寺へ。ディスクユニオンで小一時間ほどCDを漁る。
収穫はクィルターの歌曲集(Collins)、ラインスドルフ指揮によるプロコフィエフの第五交響曲&「キージェ中尉」ほか(RCA)、ミトロプロス指揮ウィーン・フィルのシューマン&R・シュトラウス(Orfeo)、神武夏子のピアノほかによるプーランク選集(ミモザ)など。
約束の時刻が近づいたので電車で荻窪へ引き返す。二時集合ということだが、集まったのは小生を含めて三人。他のメンバーの到着は夕刻になるらしいなので、この面子だけで久しぶりに荻窪を散策する。三十二年前、われわれはこの街にアパートを借りて「荻窪大学」と称したのだが、その建物は疾うに取り壊され、跡地は殺風景な駐車場になっている。三人でその場所を訪れ、しばし佇んで感慨にふける。
そのあとは街中をぶらぶら散策。表通りはさすがに変貌していたが、それでもかつての俤はまだずいぶん残っている。思いのほか透明な善福寺川を眺め、すずらん通りをそぞろ歩き、ライヴハウス「荻窪ロフト」のあった場所にも立ち寄る。
そろそろ小腹がすいたので、線路の反対側に抜けて、この街の名物であるラーメンを食することに。昔よく行った「丸福」は閉店してしまったので、「春木屋」でよしとする。小生たちが店を出る頃には行列ができていた。それなりに人気のある店であるらしい。腹ごなしにさらにそぞろ歩き。ジャズ・ライヴの店「グッドマン」を訪ねてみたら、建物ごと消滅していてショック。
それから再び線路のこちら側に戻って、「ささま書店」で古本を物色。永井龍男、岡茂雄、和田誠の文庫本、新書版の「周作人随筆」(冨山房百科文庫)、ニールス・ボーアの評伝(中公新書)などを手に取る。
四時になったので、南口そばの「さかなや道場」なる居酒屋で、鮪を肴にまずは乾杯。しばらくすると遅れてきた二人が合流、五人になったので改めて乾杯。
六時からは「楽べぇず」という沖縄料理屋に河岸を変える。ここでもうひとり加わり、六人で再度乾杯。思い思いに泡盛を注文し、ラフテーやゴーヤチャンプルーに舌鼓を打つ。なかなか居心地のよい店で料理も旨く、いよいよ宴たけなわとなったが、忘年会シーズンとて、八時には追い出されてしまう。
これでお開きでは寂しいので、この店から指呼の距離にある音楽食堂「Rooster」へ移動。ちょうど今夜はここで妹尾隆一郎のライヴを演っている。途中からだったが、ちょうどわれわれの人数分の席が空いていたので舞台近くに陣取る。
「Weeping Harp Senoh」の異名をとる妹尾は知る人ぞ知る、ブルーズ界の大御所だ。1970年代にはライヴハウスで、日比谷の野音で、彼の演奏を何度も見聞したのだが、その後はずっとご無沙汰している。おそらく三十年ぶりの見参ではなかろうか。さすがに年をとり、いいオッサンになっているが、当方も同じなので文句はいえまい。久しぶりに耳にした彼のブルーズハープは天下逸品。タイトでドライヴ感に溢れた演奏を心ゆくまで堪能する。
あまりの懐かしさに休憩時に妹尾御大に声をかけると、実にきさくな人で、親しく応じてくれる。同行の Boe 君は学生時代、彼のライヴを撮影したことがあるそうで、そのことを妹尾氏に告げると、「ああ日大芸術学部やね、憶えてまっせ」と答えていた。せっかくの機会なので、氏を交えて記念撮影。
終演後に表へ出ると、さすがにもう十一時近い。明日はもうウィーンに向けて旅立つという Boe 君をおもんぱかって、今日はこのあたりでお開きとする。ああ、充実した一日だった。
それにしても「荻大」の仲間たちと荻窪で再会すると、そのまま一足飛びに三十二年前のあの頃に戻ってしまいそうな、なんとも不思議な感じ。これも「ゲニウス・ロキ」、場所の魔力のなせる業なのか。