風は冷たいが、このうえない好天が続く。
今日はバスと京成電車を乗り継いで京成臼井へ。五分ほど歩くと佐倉市民音楽ホールがある。同じ建物の会議室で、二時からワレリー・アファナシエフの講演「音楽と愉しみ」を拝聴。入場無料ということなので出かけてみた。
のっけからフランス語で手許の原稿を朗々と読み上げる。標題は「死と愉しみ Mort et divertissement」に変更になった由。
亡命後は長くフランスを拠点とするだけあって、アファナシエフの弁舌はきわめて流暢でロシア訛りもない。耳にも心地よく響くが、通訳なしの五十分は辛い。リヒテル、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキー、シューマン、さらにはヨハン・シュトラウスの『蝙蝠』までが俎上に上げられるのだが、それ以上のことはさっぱりわからない。
読み終わったあと、日本語訳(A4で二十頁に及ぶ)が配布され、すぐさま質疑応答となったが、テクストを斜め読みする暇とてなく、それでもなんとか会場から出た質問に彼が手際良く答えて(ここには通訳がついた)予定の二時間が終了した。
最前列でアファナシエフの謦咳に間近に接するのは嬉しかったが、狐に抓まれたような感は拭えなかった。それにしても、「音楽は有限であり、終われば沈黙に戻る。それゆえカタルシスはあり得ない」「音楽とはそもそも沈黙に近いもの」と喝破するアファナシエフは、やはりとんでもない人物だ。
ジョゼ・ヴァン・ダムが歌い、アファナシエフが伴奏を務めるシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』がCDで聴ける(Forlane UCD 16647)。そのなかの「セレナード」が凄い。途方もない遅さもさることながら、そこに流れる空気が尋常でない。まるで墓場の上を風が吹き過ぎるよう。恐ろしいのは、これを聴いてしまうと、もうほかの演奏では満足できなくなってしまうことだ。