(承前)
星の光度に一等星、二等星などの等級があることは昨日述べたが、これはあくまでも見かけ上の明るさであって、実際にその星が放つ光の大きさとは別物である。たまたますぐ近くに位置する星は明るく輝いて見えるし、はるか遠方にあれば光量はぐっと衰えてしまう。
光源からの距離が二倍になると届く光の強さは四分の一に減衰する。すなわち光量は距離の二乗に反比例する(距離の逆二乗の法則)。遠ざかれば遠ざかるほど加速度的に暗くなってしまうのだ。
全天で最も明るい恒星は大犬座のシリウスである。冬空にひときわ燦然と煌めくのですぐ見分けられる。一等星としては破格な明るさゆえ、マイナス一等星(正確には−1.47等)に分類されるほどだが、これは太陽系にきわめて近い(8.6光年)ために起こる現象で、実際はそれほど特筆すべき星というわけではない。
ところで、星までの距離はどうやって測るのか。
一般的には地上での測量と同じく、三角法を用いて測る。充分に隔たった二箇所の地点から対象を観測し、見える角度の違い(視差)を測定する古典的なやり方だ。
ただし、恒星までの距離は恐ろしく遠いので、どんなに離れた二地点から観測しても、測定可能な視差は生じない。そこで天文学者たちは半年を隔てて星の位置を精密に観測してみた。すなわち太陽を廻る地球の公転軌道の両端から同じ星を眺めて、その視差を測ろうとしたのだが、測定誤差に災いされて満足なデータは得られなかった。
この方法がまがりなりにも功を奏して、人類が星の三角測量に成功したのはようやく19世紀半ばになってから。南半球で見えるアルファ・ケンタウリ(ケンタウルス座α星)までの距離が40兆キロメートルだとわかったのだ(約4.4光年)。
ミス・リーヴィットがハーヴァード大学の天文台で働き始めた時点で、三角測量によっておよその距離が測定できた恒星はようやく百を超える程度。どれもわが太陽系のごく近くに位置する星ばかりである。全天に散らばる無数の星々はその遙か彼方にある。どれくらい遠いのか、宇宙はどこまで広がっているのか。それに答えられる天文学者はひとりとしていなかった。
天文台でリーヴィットが受け持った任務は、写真乾板から個々の星の光度を正確に読み取る作業。そしてもうひとつ、夜空の同じ区画を数日、あるいは数週間を隔てて撮影した二枚の写真を比較して、星の明るさに変化が生じているか否かを調べる作業があった。数ある恒星のなかには周期的に光度が増減する「変光星」が少なからず含まれている。彼女の努力はあまた写り込んだ星々のなかから変光星を見つけ出し、できうればその変光の周期をつきとめることに注がれた。
そんな厄介なことが可能なのか。方法はこうだ。同じ星空を写した二枚のガラス乾板の一方をポジ、他方をネガで焼く。二枚を重ね合わせると、ぴたりと重なって真っ黒になるわけだが、もし変光が起こっていると、その箇所で星影のサイズが変化して外縁がリング状になって現れる。
リーヴィットはこの作業にも献身的に打ち込んだ。乾板を重ね合わせては注意深く観察し、詳しいデータをとる。根気強い比較検討により、それらの変更周期が少しずつ明らかになってくる。彼女は変光星を見つける達人だとの評判が学界に広まっていった。
とりわけ南半球の観測所から届いた乾板は変光星の宝庫だった。夜空にうすぼんやり浮かぶマゼラン雲(当時その正体は謎だった)は実に夥しい変光星を含んでおり、彼女は四年がかりで数多くの写真を精査して、結果を1908年の天文台年報にリポートした。そのタイトルには驚くほかない。「マゼラン星雲の1,777個の変光星」というのだから!
いつ果てるとも知れぬこの地道な作業は、しかし思いもよらぬ大発見へとミス・リーヴィットを導くことになる。これまで誰一人手にすることのできなかった「遠い彼方の星々」までの距離を測定するための手掛かりを、彼女はこの変光星の観測結果から得たのである。
それは人知れず黙々と作業にいそしむ彼女に、天文学の神様が褒美としてそっと手渡した「星界まで届く物差し」だったのかもしれない。
(明日につづく)