(承前)
「恋のダウンタウン」('65年3月発売)、「マイ・ラヴ」('66年3月)、「愛のセレナーデ This is My Song」('67年)、「天使のささやき Don't Sleep in the Subway」('67年)と、ここまで聴き続けて、小生のポップス狂いはまるで憑き物が落ちるように終息した。
ペトゥラ・クラークが世界的なヒット曲を連打する時代もこのとき終わった。
最後の「天使のささやき」は稀代の名曲である。しみじみと心に残る旋律だし、コード進行が何やら独特だ(パッヘルベルの「カノン」に似ているのは気のせいか?)。ペトゥラの声もここでは大人っぽく落ち着いたアルトに響く。ビーチボーイズの影響を色濃く留めたアレンジにも工夫がこらされている。愚かな中学生だった小生はこれを聴いて、原題の意味を「地下鉄で居眠りするな」だと取り違えた。遙か後年、ロンドンを訪れてかの地の地下鉄がtube と呼ばれている現実に直面し、ようやくあの歌が「地下通路で眠るな」という意味なのだと気づいた。
その後、ペトゥラ・クラークは映画での活躍が目覚ましい。
フレッド・アステアと共演したミュージカル『フィニアンの虹』(フランシス・フォード・コッポラ監督、1968)、ピーター・オトゥールと共演した『チップス先生さようなら』(ハーバート・ロス監督、1969)はどちらも忘れがたい。彼女の歌い踊り演ずる全盛期がこうしてフィルムに収められた僥倖を感謝したい。
それから長いこと、ペトゥラ・クラークのことを忘れて過ごした。
だが1990年代にロンドンを訪れた際、レコード店には必ず彼女のCDを並べたコーナーがあることに喜びを禁じえなかった。夥しい旧譜やアンソロジーに混じって、彼女がアンドルー・ロイド・ウェッバーのミュージカル『サンセット大通り』再演で主役を演じた新作CD(1996)を目にして、ペトゥラの健在ぶりを鮮やかに印象づけられたのだった。これは舞台を一目観たかった。
実はそれ以前にも彼女は1981年『サウンド・オヴ・ミュージック』の再演でマリアを演じたことがあり、このときの珍しいキャスト・レコーディングLPも中古ショップで手に入れ大切にしている。
日本にいるとまるで実感が湧かないが、ペトゥラはあれからも常にショウビズの世界に身を置いて唄い続けてきたのである。
21世紀になっても続々と彼女の新録音が出る。
2004年には前年9月パリのオランピア劇場で収録したライヴ・アルバムが出て、われらオールド・ファンを夢見心地にさせた(「ダウンタウン」は英語で歌った)。その歌声はさすがに昔のままとは参らぬが、それでも信じがたい輝きと若々しさを放つ。
そして今日、ペトゥラ・クラークは現役のまま七十五歳の誕生日を迎えた。