(承前)
ペトゥラ・クラークの唄った「ダウンタウン」は文字どおり世界を席捲した。
1964年11月に発売されるや、瞬く間に英・米のヒットチャートを駆け上がり(「赤丸急上昇」というフレーズがありましたっけ)、「ビルボード」誌ベスト100では64年12月19日に初登場87位、それが41→12→5→4位と破竹の勢い、ついに1965年1月23日と30日の二週にわたって全米第一位を手中に収めた。
同時期にヨーロッパでも彼女が歌い分けたフランス語盤("Dans le temps")、イタリア語盤("Ciao ciao")、ドイツ語盤("Geh in die Stadt -- Downtown")もそれぞれベストセラーを記録した。
わが国でも1965年3月にテイチク・レコードからシングル盤が発売され(US-105)、垢抜けないジャケット・デザインにもかかわらず、目覚ましいヒットを記録した。ラジオのベストテン番組でも連日のようにこの曲がかかり、埼玉の田舎の小学六年生をトランジスタ・ラジオに釘付けにした。
ペトゥラ・クラークの芸歴は恐ろしく長い。
「ダウンタウン」の大ヒットの時点で、彼女の芸能界生活は二十年を超えていた。
初めてのラジオ出演は戦時中の1942年10月。十歳の誕生日の直前だった。その後も少女タレントとして舞台やラジオ番組に頻繁に出演、英国地方巡業では同じく少女時代のジュリー・アンドルーズとも共演したという。子役として映画出演も相次ぐ。スクリーン初登場は十二歳のときの1944年(小生は翌45年の出演作 "I Know Where I'm Going!" を観たことがあるが、えらく芝居上手な少女だった)。
1954年には「小さな靴屋さん The Little Shoemaker」という曲でレコード・デビュー。これがいきなりベスト20に仲間入り。その後は英国内でコンスタントにスマッシュ・ヒットを飛ばすとともに、58年からはフランスでも活躍を始め、Vogue レコードと契約し、フランス詞による吹込も旺盛に行った。61年には仏人と結婚、しばらくはむしろパリを活動の拠点としていた。"Dans le temps" での発音が流暢なのは蓋し当然なのだ。
その彼女のキャリアを真に世界規模に拡大するきっかけをつくったのが、作詞・作曲・アレンジを一手に手がける才人トニー・ハッチ Tony Hatch の出現だ。
ハッチは手持ちの新曲をいくつか持参してパリのペトゥラの許を訪れたのだが、あいにく彼女のお気に召す楽曲はひとつもない。苦し紛れにハッチは、別の用途で書きかけていた未完の曲を弾いて聴かせると、彼女はこう言ったという。「そのメロディ、悪くないワ。うまく詞をつけたらどう?」。こうして出来上がったのが「ダウンタウン」なのだった。
日本の片田舎で小学生が夢中になっていたちょうどその頃、ひとりのカナダ人男性が荒涼たる大地を自家用車でひた走りながら、カーラジオから流れるペトゥラの歌声にうっとり聴き惚れていた。それがグレン・グールドだったというのだから面白い。
彼はまず "Downtown"('64年11月) で彼女にぞっこん惚れ込み、続く "My Love"('65年10月)、"A Song of the Times"('66年3月)、"Who Am I?"('66年11月)と連打されるシングル・ヒットを追い続け、それらの感想を雑誌『ハイ・フィデリティ』に「ポップ・ミュージック歌手 ペトゥラ・クラーク探求」と題して寄稿した。
グールドによれば、この四つの歌はそのまま十代の若者が「親鳥の巣から急角度で飛び立つ」巣立ちを表しており、それを体現しているのがペトゥラ自身なのだという。野水瑞穂の訳文を引く(『グレン・グールド著作集2』みすず書房、1990)。
ペトゥラ・クラークはいろんな意味でこの巣立ち体験のすべてを一身にあらわしている。二人の子持ち、三十四歳で、現在の仕事を入れて三つの異なる経歴をもっている。(一九四〇年代の少女時代はイギリス映画界でアネット・フニチェッロ[=アメリカの子役]の先駆けをなす存在であり、その十年後にはパリのナイトクラブの堅実な歌い手であった。) 声、姿、そして(かなり距離をおけば)顔も、こうした一連の経験から受けた荒廃の跡をうかがわせることはほとんどない。
彼女の特徴的な声についてはこうだ。
[…]彼女のステージ上での所作、あるいはマイク扱いの仕草のすべてが、歌詞の攻撃的な告白と著しい対照をなしているのだ。表情が、姿が、控え目な身体の回転が、しかし何よりすばらしい一オクターヴだけに忠実なその声が……。その声はひじょうに慎重な滑音と繊細な装飾音しか許さない。ヴィブラートはひじょうな緊張と速度のためあるかなきかの感がする。[…]ペトゥラは、スタイルはどうあれつつましさが第一、という年輩の観衆の希望に応えている。
なんというか、皮肉っぽく、斜に構えた物言いだが、要するにグールドはペトゥラが好きなのだ。
今ふと気づいたのだが、ペトゥラ・クラークとグレン・グールドは全く同い年である。誕生日も二箇月しか違わない。そこにある種の同世代的な共感がなかったといえば嘘になる。
(明日につづく)