(承前)
「寂しいときや悩みごとのあるときは、うじうじしてないで、さあ、ダウンタウンへ繰り出そう」と陽気にあっけらかんと歌う。見知らぬ群衆のなかで、かえって孤独感が深まりはしないか、などと茶々を入れないこと。なにしろ、これは60年代ポップスなのだ。シュガーベイブの「ダウンタウン」の歌詞の「暗い気持ちさえ すぐに晴れて/みんな ウキウキ ウキウキ/ダウンタウンへ繰り出そう…」という件りは、間違いなくこの本歌に由来するものだ。小生はそう考えている。
さて、この「恋のダウンタウン Downtown」を見事な歌唱力で快活に歌いあげたのは英国のポップシンガー、ペトゥラ・クラーク Petula Clark である。彼女の名は正しくは「ペチュラ(ペテュラ)」と発音するらしいのだが、長年の慣習を尊重し、ここでは「ペトゥラ」と書いてしまおう。もっとも田舎の小学生はこれを「ペトラ」と発音していたが…。
70年以降の洋楽状況からは想像できにくいのだが、60年代の日本のヒットチャートは必ずしも英米中心ではなく、イタリアのカンツォーネやフランスのシャンソン(フレンチ・ポップス)も常に上位ランクを賑わしていた。
ミーナ(伊/「砂に消えた涙」'64)、ジリオラ・チンクエッティ(伊/「夢見る想い」'64、「愛は限りなく」'66)、マージョリー・ノエル(仏/「そよ風にのって」'65)などの女性歌手の名がすぐに思い出される。彼女らの持ち歌はすぐ日本人歌手による日本語カヴァーが出たし、彼女たち自身の吹き込んだ日本語盤すら存在する。
これに米国のダスティ・スプリングフィールド(「この胸のときめきを」'66)、ナンシー・シナトラ(「にくい貴方」'66、「シュガータウンは恋の町」「恋のひとこと」'67)を加えれば、当時の小生のマイ・フェイヴァリット・ガールズが勢揃いする。歌の上手なお姉さんが世界中にいたのだ。
そのなかでも、パンチの効いた歌唱と正確極まる音程でだんぜん他を圧していたのが、わが鍾愛のペトゥラ・クラークだった。その人気は英米よりもむしろフランスで高かった。その証拠に、この "Downtown" はすぐに(同時に?)フランス語盤も発売されている。語呂合わせみたいでおかしいのだが、題名は "Dans le temps"(ダン・ル・タン=昔々)といった。
Il n'y a plus
dans cette ville la joie
qu'il avait avant dans le temps
Je suis perdue
dans cette ville sans toi
Toi qui m'aimais pourtant dans le temps
Je m'ennuie seule au long des routes trouver le passé
D'un amour qui n'existe plus mais qu'a commencé
Dans cette ville j'ai beau cherché mais plus rien
J'ai beau chercher dans les rues
Mais pourtant c'est tout vain tu sais
Dans le temps
Comme on s'aimait ah oui dans le temps
Je m'en souviens ah oui dans le temps
Qui a passé depuis dans le temps
オリジナルと聴き較べると面白いのだが、英詞の downtown の箇所をすべて dans le temps に置き換え、その前後を巧みにフランス歌詞で繋いである。フランス人と結婚し一時期パリを拠点としていたペトゥラの本場仕込のフランス語はなかなかに流暢で、これを聴く限り純然たるフレンチ・ポップスにしか聴こえない。
もっとも、"dans le temps" すなわち「昔々」「かつて(〜だった)」という言葉を最大限に活かすため、歌詞はひたすら失恋を嘆き、幸福だった昔を懐かしむという内容に改められた。フランス人にとって、だからこれはダウンタウンへ繰り出そうという陽気な歌じゃないのだ。
(次回につづく)