台風接近とやらで終日篠つく雨に祟られた一日。
でも思い切って浅草まで出向く。浅草名画座でこんな三本立。これは観ずにはいられまい。
やくざ囃子 (1954、東京映画・滝村プロ=東宝)
マキノ雅弘 監督作品
原作=村上元三、脚本=松浦健郎、撮影=三村明、美術=島康平、音楽=服部正
出演=鶴田浩二、岡田茉莉子、河津清三郎、田崎潤、花柳小菊、田中春男 ほか
男の勝負 (1966、東映)
中島貞夫 監督作品 (監修=マキノ雅弘)
原作=紙屋五平、脚本=鳥居元宏、中島貞夫、撮影=山岸長樹
出演=村田英雄、天知茂、天津敏、北島三郎、藤山寛美、南田洋子、長門裕之、松尾嘉代、藤純子、高倉健 ほか
ごろつき (1968、東映)
マキノ雅弘 監督作品
脚本=石松愛弘、撮影=飯村雅彦、音楽=渡辺岳夫、美術=中村修一郎、助監督=伊藤俊也
出演=高倉健、菅原文太、大木実、渡辺文雄、金子信雄、三益愛子、清川虹子、沢村正 ほか
来年が生誕百年にあたるマキノ雅弘。今回の三本立はちょいとフライング気味の記念上映ということらしい。粋なはからいに感謝しよう。しかもその三本はどれも未見だったから有り難い。
大傑作は『やくざ囃子』。旅鴉の彌太郎(鶴田浩二)が船中でたまたま出遭った足の不自由な美しい娘・お篠(岡田茉莉子)にぞっこん一目惚れ。だがその兄で剣術の達人・治三郎(河津清三郎)はふたりの仲を認めない。冶三郎は妹の足を治す金策のため、田舎やくざの親分の用心棒となっていたが、妹がやくざ者と付き合うのを嫌っていたのだ。彌太郎とお篠の恋心は募るいっぽうで、ふたりは秋祭りの一夜を踊り明かす。敵方やくざとの修羅場を辛くも切り抜けた彌太郎は翌朝、冶三郎と対決。斬り合いとなるのだが…。
若く颯爽たる鶴田浩二が良い。岡田茉莉子の可憐な初々しさはどうだ。ふたりの逢引場面の清々しいことといったら! 他愛ない睦言を意味深く聴かせてしまうマキノの手腕に唸る。清冽にさらりと、人の感情や想いが水のように流れる。素晴らしすぎるぞ、これは!
『次郎長三国志』シリーズと並行して撮られたので(第八・九作の間)、脇を固めるのはお馴染み次郎長一家の面々。道理で演技の呼吸がぴったり合うはずだ。緩急自在でリズミカルな殺陣といい、登場人物に注がれる暖かい眼差しといい、移動キャメラの流麗な動きといい、 マキノ映画の真骨頂がすべてここにある。
つづく『男の勝負』ではマキノは「監修」ということで監督は中島貞夫。中島にとっては『893愚連隊』の次の演出作品とのことだが、大勢の登場人物を描き分ける手腕は並ではない。明治期に荒れ果てた大阪・千日前を興行街に育て上げた任侠の男たちの話。関西弁をしゃべる苦労人ふうの天知茂がなかなか。その妻の南田洋子のきっぷの良さも印象的だが、このあたりは監督がマキノだったらさぞかし情感たっぷりに…と少々残念。高倉健と藤純子は特別出演扱いで出番はほんのわずか。終盤近く、恩義を感じた食客の健さんは、組の窮状を察して単身敵方に斬り込んで呆気なく殺されてしまう。
1966年作品なので当然カラー・ワイドであるが、フィルムはニュープリント同然で傷ひとつない。綺羅星の如き役者たちの競演を溜息とともに鑑賞。天晴れな時代だ。
三作目の『ごろつき』も珍しい(あとで調べたらDVDがある由)。健さんと文太の共演作というのも稀有だし、マキノが戦後の現代に取材するのも珍しい。主役ふたりは閉鎖間近の筑豊炭坑から上京し、力自慢の健さんはキックボクシングジムで働き、お人良しの文太は豪邸に住みついて愛犬の散歩係に。やがて頭角を現しボクサーを目指す健さんのサクセス・ストーリーを軸に展開されるも、新宿でひょんなことからふたりが流しの演歌歌手になったり、悪辣な新興勢力がはびこる新宿の裏世界が描かれた挙句、最後はボクサーのはずの健さんがお定まりの単身斬り込み。
青春もの・スポ根ものと任侠やくざ映画を強引にくっつけた印象だが、全体のトーンは明朗快活のマキノ調で、田舎出の純朴な若者に扮した健さんが好もしい。流しの歌手になって文太のギターで「網走番外地」「唐獅子牡丹」を唄う(!)シーンににんまり。マキノとしてはまあ凡作なのだろうが、それなりに見所は満載。これまたニュープリント同然の綺麗なフィルムだ。全261本あるマキノ映画の第250作目。翌年に『日本侠客伝 花と龍』、翌々年には『昭和残侠伝 死んで貰います』が来る。
…てなわけで久しぶりに邦画を浅草で観た。館内に競馬中継が流れ、客席は七十前後の爺さんばかりだったけれど。
三本観て、四時間半(九十分×三本)というコンパクトな潔さも嬉しかった。
終わったら四時過ぎ。表に出たら、まるでスクリーンのなかのような凄まじい驟雨。なんだかこれもマキノだ。