(承前)
それは、一口でいえば、もう音楽がいっぱいつまっている演奏である。出だしの主題がはじまると、もう私たちは、そのチェロの生命の限りをつくしたような歌の噴出に、打たれないわけにいかない。そういっても、ぎりぎりの歌でありながら、テンポもたっぷりとってあり、ひどく豊かで、ちっともぎしぎしした痩せこけた決死の姿を感じさせない。これはすばらしいことである。というのは、このことは、彼女が身体中に音楽をいっぱい持っているだけでなく、その上に、それを卓越した音楽的知性で裏づけていることの証拠だからである。私のいうのは、単なる、「知性」強要といったものではない。これは頭の働きと、もちろん無縁のものではないが、その根本は、彼女の音楽的感性の充溢から直接生まれてきた均衡感であるとか、明確な造型性であるとか、音色への配慮、やたらと通俗的なヴィブラートやポルタメントをかけない真卒さであるとか、そういった種類の「知性」なのだから。
これは吉田秀和が1969年末(か70年初頭)に書いたとおぼしいエッセイの一節である(連載「レコードの楽しみ」第二回)。
ここで話題になっているのは、出たばかりのLPで彼女が奏したシューマンのチェロ協奏曲。『レコード芸術』1970年2月号に載ったこの文章を読んで、なるほど、そのとおりの演奏だ、と意を強くして頷いたのをよく憶えている。小生もシューマンとサン=サーンスの協奏曲を収めたこのアルバムを逸早く輸入盤で手に入れて聴いたところだったのだ。
これだけの演奏を聴かせるチェリストは滅多にいない。英本国はもとよりヨーロッパでもアメリカでも彼女の話題で持ちきりだった。ポール・トルトリエはその天賦の才を褒めちぎり、ロストロポーヴィチは進んで個人レッスンを申し出た。
1965年に彼女が芳紀二十歳で録音したエルガーのチェロ協奏曲は、なみいる諸家を押しのけて、同曲の決定盤と絶賛された。伴奏指揮を務めたバルビローリ卿はその才能に惚れ込み、繰り返しこの曲で彼女と共演し、ロストロポーヴィチは「自分はもうこれを録音する気がしない」と呟いたと伝えられる。
その後も彼女のアルバムは順調に出た。ディーリアスのチェロ協奏曲、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ集、再度バルビローリと組んだハイドンのニ長調協奏曲とモンの協奏曲、さらにハイドンのハ長調の協奏曲とボッケリーニの協奏曲、ブラームスの二曲のソナタがそれに続く。その悉くを小生は高価な英国盤で聴いた。高校生には手痛い出費だったが、致し方ない。何しろ日本では彼女のLPが一向に出る気配がなかったのだ。一体全体どうなっているのかしらん。
実質的なデビュー盤であるエルガーの協奏曲だけは辛うじて日本盤が1966年に出た。とはいえ当時この曲の知名度はおそらくシューマンの協奏曲の十分の一、ドヴォルザークの百分の一程度だったから、殆どなんの反響も得られぬまま早々と廃盤の憂き目をみた。
これが不幸の始まりだった。そしてそのあとは無しの飛礫。彼女の存在は日本のレコード会社から一顧だにされなかった。これがあとで取り返しのつかない結果をもたらすことに、まだ誰ひとり気づいていなかったのであるが。
吉田秀和は先に引用した同じ文章で、その理不尽な仕打ちにも触れている。
私には、実際どうもよくわからない。こんなに素晴らしいレコードが外国盤でつぎつぎと出ているのに、なぜ日本のレコード会社は、日本盤を市販して、日本の愛好家にそれを紹介しないのか? 一度レコード会社の人にきいてみたところ、彼女は結婚以来はずっと良人のバレンボイムとくんでレコードを入れているが、日本ではまずピアニストとしてのバレンボイムを公衆のイメージに強く植えつけて、そのあと、指揮者あるいは伴奏者としてのバレンボイムを知ってもらうというようにしないと、つい伴奏家とうけとられてしまうので、その間の頃合いを見計って、順次出してゆきたいと考えているからだ、と説明された。
そんなもんかしらん?
吉田秀和の「進言」がレコード会社を動かしたのかどうか詳らかにしないが、それから一年近く経った1971年1月、このシューマンとサン=サーンスを組み合わせたディスクがようやく日本でも発売になった。そして2月にはハイドン(ニ長調)+ボッケリーニ、4月にはエルガー(再発)+ディーリアス、6月にはブラームス、9月にはハイドン(ハ長調)+モン…といった具合に、遅ればせながら彼女のアルバムが矢継ぎ早に送り出された。
ところがちょうどその頃、彼女の身に思いがけない異変が兆し始めていた。
チェロを弾く指先が少しばかり痺れるというのだ。疲れやすくなり、体のあちこちにちょっとした不具合が生じる。周囲の者たちは彼女のハード・スケジュールがその原因と考え、演奏活動を休止し、しばらく静養することを勧めた。なあに、焦ることはないさ、一年くらいサバティカルをとって、元気になったらまた戻っておいで。なんといってもまだ二十六歳。彼女の前途には洋々たる未来が拓けているのだ。
ニュースはほどなくわが国にも伝えられた。当時の音楽情報誌から引く。
[…]その彼女、主婦業と音楽家としての活動の両立がなかなかむずかしいらしく、精神的にかなり疲労がみえ、医師のすすめでしばらく音楽活動を中止するという。一曲ごとに充実ぶりをみせてきただけにファンとしては残念ではあるが、これは仕方ない。一日も早く復して元気な姿をみせて欲しいものだ。
(明日につづく)