朝起きたらまずまずの好天なので、思い立って鎌倉へ。
小町通りをそぞろ歩きながら想い出にふける。埼玉の田舎に住んでいた少年時代、鎌倉は京都とあまり違わぬ遠い古都だった。
はじめてこの小径を歩いて神奈川県立近代美術館を訪れたのは1970年秋、「エドヴァルド・ムンク展」のときだった。翌71年秋の「ボルドー美術館名品展」、72年秋の「アンソール展」、73年秋の「オディロン・ルドン展」…。毎秋のように忘れがたい展覧会が連打された。土方定一館長の時代だ。これらは東京では開催されぬ慣わしだったから、千里の道を遠しとせず、せっせと出向いたのである。今は昔。
しばらく見ぬうちにこの通りも俗っぽく観光地化した。鄙びた床しい風情はどこへやら、賑やか過ぎて竹下通りみたいで興醒めだ。とはいえ、懐かしい喫茶店「門」は昔のまま健在だし、古本屋も営業中。
さしたる期待も抱かずに通り沿いの「木犀堂」の棚を覗いていたら、驚愕の大発見。いやなに、小生ひとりが悦に入っているだけなのだが。石井桃子の文藝春秋社時代、それも社員になる前の動向をうかがわせる文献に出くわしたのだ。迷うことなく手に取る。
へえ~そうだったのか! これは青天の霹靂。証言者は当時の彼女をよく知る人物である。いずれ裏づけを取ったらここで紹介しよう。
この秋に開催中の展覧会は「アントニン&ノエミ・レーモンド」。チェコ出身の建築家とその妻(内装や家具を担当)をめぐる展覧会だ。レーモンド夫妻は戦前と戦後に併せて四十年も日本に滞在したから、建築史上それなりに遇されてはいるのだが、小生なぞには具体的な作家像がさっぱり浮かばない。
ところが彼の設計・施工した建物には、それと知らずにけっこう遭遇していたことに驚かされる。
70年代後半に二年間ほど西荻窪に住んだことがあるが、その当時しょっちゅう自転車で通りがかった善福寺界隈の東京女子大の校舎群がレーモンドの仕事だったのである。不思議な白い塔屋がひどく印象的な建物なのだが、女子大ゆえ門の外から望見するだけだったのが残念。近年、キャンパス再開発とかで相次いで取り壊されつつあるのだという。
これまた最近取り壊されてしまったが、銀座七丁目の「ヤマハ楽器店」もそうなのだという(1951年建設)。輸入盤LPや音楽書を買いに足繁く通った想い出の店だ。ゆったり風格のある空間だったなあ。ここにはヤマハホールも併設されていたっけ。
現存する建物では、同じく銀座通りの書店「教文館」とその裏の「聖書館」がやはりレーモンドの設計(1933年建設)。こちらは今でもしょっちゅう訪れる馴染の建物だ。いささか重厚晦渋ながらアール・デコの匂いが漂う。
現存しない未見の建物では、竹橋のパレスサイド・ビルの場所にかつて建っていた「リーダーズ・ダイジェスト東京支社」が素晴らしそう。1951年完成のガラス張りの超モダンで瀟洒な美しいオフィスビルだったのが写真から偲ばれる。母方の叔母のひとりがこの会社の社員だったので、さぞかし忘れがたい記憶があるに違いない。このビルは60年代末までは健在だったはずで、実見できる機会はあったのに残念至極だ。
ぜひとも現物を観たくなったのは、五反田の星薬科大学(元・星商業学校)の建物(1921-24)と、高名な高崎の群馬音楽センター(1955-61)。ともに手入れが行き届いて、今なお美しい。とりわけ、後者のダイナミックな造型は一見に価しそうだ。本展は高崎にも巡回するようなので、そのときに建物を見学しがてら展覧会を再見するのも一興かもしれない。いやむしろ、ここを本拠とする群馬交響楽団の定期演奏会を聴きに行くのがスジかも。
建築の展覧会の常とはいえ、建築写真、図面、模型のみで、肝腎の「作品」が不在なので隔靴掻痒の感は否めない(ナオミ夫人制作の家具調度類のみ現物)。本展は先行するアメリカでの展覧会を下敷きにしたといい、現存する建築も含め、ほとんどモノクロ写真による展示であり、それもひとつの見識かなあと思うが、外装の色彩も、ナオミの手がけた内装や調度の色合いもわからないのは残念である。
本日はたまたま担当学芸員の解説つきで鑑賞できたので、個々の建築への理解が大いに助けられたが、ただ漫然と眺めただけでは知り得ぬことが多すぎる。意義深い展示であるだけに残念な気がした。
最後に弟子筋にあたる前川國男、吉村順三らの紹介展示がつくが、これがいかにも中途半端で蛇足、はっきり言ってショボすぎ。池端の別棟(新館)が耐震の問題で閉鎖中のため展示面積が足りなかったのだろうが、尻切れ蜻蛉の感は否めまい。
それにしても池を望むここのカフェテラスは素晴らしい空間だ。居心地がすこぶるよく、焦げて不味いドライカレーまで美味しい気がするから不思議だ。
帰りも小町通り。お口直しとて、喫茶店「門」に立ち寄る。この店は画廊喫茶ふうに壁に作品がいつも展示されている。ここに昔、作曲家の小倉朗さんの絵画展を観にきて、一緒に珈琲を飲んだ日のことをふと思い出した。