東京への往還の車中、膝上での読書は欠かせない。ただし部厚い単行本は禁物だ。重たいばかりで気軽に鞄から取り出せない。
今日はファインスタインの自叙伝はお休みにして、何か手頃な文庫本でも…と出発前に書棚を漁ったら、いつどこで購入したのだろうか、こんな一冊が目についた。
幣原喜重郎 『外交五十年』 中公文庫、1987
先日、父の墓参で染井霊園を訪れたとき、偶然に幣原喜重郎(しではらきじゅうろう 1872~1951)の墓を目にした。一昨年、外交史料館で1920年代末の文書(在ウクライナ領事からの公信)を調べたとき、すべての報告の宛先が「外務大臣 幣原喜重郎殿」となっていたので、なんだか身近な存在に思えてきたのだ。
ほう、こんな本が手許にあったかと、出掛けに鞄に放り込んだ。
あまり期待せずに読み出したのだが、これが予想に反してたいそう面白い。終戦間もない1945年、幣原は周囲から乞われて政界に復帰し、首相として新憲法の作成に力を尽くした。本書は歿する直前の1950年に口述で書き留められた回想録だという。幣原が座談の名手だったのか、まとめ役の読売新聞記者が聞き上手だったのか、おそらくその両方なのだろう。いきいきと歯切れのよい、平易で流暢な語り口なのである。
日露戦争勃発直前の朝鮮での体験、日露講和の生々しい舞台裏、ワシントン軍縮会議の手に汗握る駆け引き、シベリア出兵の真相、満洲事変の勃発に伴う政界引退。ここまででも興味津々、充分に波乱万丈なのだが、第二次大戦後、思いがけなく首相の座に就いて、米軍占領下で憲法草案作成に奔走するという最大のクライマックスが訪れる。
彼の言に拠れば戦争放棄は決して米国から押しつけられたものではない。
つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは[…]信念からであった。それは一種の魔力というか、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本へやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私に関する限りそうではない。決して誰からも強いられたのではないのである。
当事者たる幣原の口からここまで明確に言い切られるとは驚きだ。この件りを読むだけでもこの『外交五十年』は千金の価値があると思う。
さて今日は用事があって久しぶりに江古田へ出かけた。その足で日大芸術学部へも赴いたのだが、全面的な改築工事中なのでちょっと吃驚。これまでの校舎はあらかた姿を消し、ほうぼうにプレハブが建ち並ぶという異様な光景なのである。この状態があと数年続くのだという。
帰ろうとすると大学正門前に古本屋があるのに気づく。「根元書房日芸前店」という。西武線の線路際にある旧知の根元書房の支店であるらしい。ちらと覗くと一見なんの変哲もない店構え。だが文庫本の品揃えがなかなかよい。しかも安いのだ。結局八冊も手に取ってしまう。
吉田秀和 『一枚のレコード』 中公文庫、1978
吉田秀和 『ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿』 中公文庫、1988
吉田秀和 『音楽の光と翳』 中公文庫、1989
吉田秀和 『音楽 展望と批評 1』 朝日文庫、1986
ドナルド・キーン 篠田一士訳 『日本との出会い』 中公文庫、1975
ドナルド・キーン 中矢一義訳 『日本細見』 中公文庫、1983
ドナルド・キーン 中矢一義訳 『わたしの好きなレコード』 中公文庫、1987
エヴゲーニヤ・ギンズブルグ 中田甫訳 『続 明るい夜 暗い昼』 集英社文庫、1990
これだけ購めて全部で1,400円とは破格ではなかろうか。