(承前)
平野甲賀のエッセイ集『僕の描き文字』には驚かされた。彼はなかなかの文章家でもあったのだ。流麗さとも雄弁とも無縁。訥々とした語り口ながら、彼には言うべきことがある。だから吐き出された言葉に重みがあるのだ。
例えば、平野が描き文字を始めてまだ間もない頃に書かれた「大きな顔」(1985)という文章。大きな顔、とはなるほど言い得て妙であるが、評論家・小野二郎を評した言葉であり、それがそのまま追悼文集『大きな顔 小野二郎の人と仕事』(非売品、晶文社)のタイトルとなった。平野の文章を引く。
『大きな顔』とは小野先生の顔のことである。じつに妙なタイトルだ。それに劣らず妙な造本になった。本文天アンカット、カバーなし、小口が折り返しになっている表紙(パミス古染)がべったり背にくっついた並製本、要するに、なんの変哲もないペーパーバックであるが、見返しにはちょっと凝ってミューズカバーの黄土色に、モリスの壁紙から柳のパターンが、紙こそ違うがオリジナルに近いかたちで印刷されている。しかしアンバランスだ。それはタイトルの描き文字のせいだろうか。一九八二年といえば装丁に書き文字を使い始めた頃である。漢字はまあまあ見られてもその程度のもの、平仮名にいたっては実に拙い。ある快活さの表明には違いないのだが。この表紙はひっぺがしてしまえば消えてなくなるとしても、その拙い表紙の描き文字をそのまま縮小して、本文用紙の扉にまで使ってしまったのは許せない。これは重大な失点であった。
きびきびとした、いい文章でしょう。少し前の自作の出来について、厳しくも冷静な眼差しが投げかけられている。ちょっと厳しすぎるかもしれないぞ、と書棚からその『大きな顔 小野二郎の人と仕事』(1983)を取り出して眺めてみる。いやあ、どうしてどうして、平野さん、この表紙の描き文字は傑作ですよ。架蔵するのは1986年の再版なのだが(この手の追悼本に再版があるのは珍しい)、シンプルで力強く、間然としたところのない素晴らしい文字である。
先に挙げた『父 パードレ・パドローネ』(平凡社、1982)のことも出てくる。描き文字を使いだしたきっかけの本なのだという。
平凡社から『父』という翻訳ものの小説が出たんです。八〇年代の初めかな。タイトルが漢字の一文字で「父」でしょう、どういう書体をもってきても、しっくりこないものだから、編集者と相談して、これは描き文字でいこう、と。
「父への畏れ」みたいなものは考えたと思いますけどね。
たとえば「父」という文字でいえば、かつて中国でつくりだされて以来、多くの人びとにこの文字は使われてきたわけで、だから「父」の文字に向かい合ったときには、おおげさに言えば、文字自体がひきずっている歴史や物語のすべてが僕に対して総合的に迫ってくるんだよね。僕がひとりよがりで考えた末に生まれる、平野甲賀の〈力文字〉なんかじゃなくて、そんな個人的思惑をはるかに超えて突き動かしてくる、文字そのものの孕む力なんだなあ……。
なるほど、そのとおりだ、文字は生きものなんだ、と深く納得させられる。
平野甲賀は早くからコンピューターに着目し、一連の描き文字も90年代からはアドビのソフト「イラストレーター」を駆使して作字されたものという。一方で彼はロシアやチェコのアヴァンギャルド・デザインを称揚し、その手作り感覚をこよなく愛する。「スタイルをもった」挿絵画家が好きだ、といい、彼が言及するのはまずロックウェル・ケント、それからこの人の名だ。
それと、チェコのヨゼフ・ラダ、この人のことは、ハシェクという作家の『兵士シュベイクの冒険』のイラストを見て初めて知った。この本は、演劇をやるようになってから読んだんです。ラダの絵は、構図や線の太さがいつも決まっていて、すごく様式がはっきりしている。古代のレリーフみたいなところがある。
うまいなあ、座布団一枚! ラダの魅力を「古代のレリーフ」みたい、と端的に言い当てる。端倪すべからざる表現力ではないか。
彼が「頼まれもしないのに」このラダの挿絵をあしらって『兵士シュベイクの冒険』を架空装丁した(
→これ と
→これ)のは、むべなるかな、なのである。
植草甚一と出会った日のことを回想する文章もある(「植草さんの錬金術」1980)。本書の白眉は実はこれかもしれない。ちょっと長くなるが、引用したくなる誘惑に抗しきれない。
初めて植草さんにお目にかかったのは一九六七年の夏、『ジャズの前衛と黒人たち』(晶文社)のカバーデザインの打ち合わせのためで、経堂駅から五、六分行ったお住まいを訪ねたときだった。[…]
ガタピシの木戸をくぐって、チャイムとともに訪問を告げ「あなた、平野さんですよ」と、奥をせかせる梅子夫人の声を聞きつつ靴のヒモをときながら、玄関の間をジロジロ観察して、ウーンと唸ってしまった。スーパーマーケットで買ってきた肉かなにかにくっついてきた受皿や、到来物とおぼしき菓子のあき箱や、風雪にたえた傘立てや、そんなものにあんまり上手とはいえない手で、人間の顔や、犬や鳥の絵、模様などゴテッと塗りこんであった。実のところは、なんだこりゃと思いつつもせまい廊下を通って、やがて奥座敷のすき間にすべりこむや(この廊下のことはこれまでに植草さんについて書かれた文章などですでにご存知のように、両側は本また本の石垣ならぬ土砂崩れだ)またまた、ウーンと唸ってしまうよりしょうがなかった。ところ狭しと積み上げられた本、やりかけのコラージュ、レコード、得体のしれないオブジェ、色鉛筆、ハサミ、ナイフなどなど、そしてついに植草甚一のコラージュ世界に引き込まれてしまったのだ。いや、コラージュの一片にされたのかもしれない。
(まだ書きかけ)