二十歳の誕生日をどこでどう迎えたのか、まるで記憶にない。晴れてこの日から酒も煙草も解禁なので、ビールでも呑んだのだろうか。何ひとつ憶えていない。
それから十年。人生とは全く思いもよらぬもので、大学を辞め、東京で一人暮らしを始めて、定職にも就かず、風来坊生活を送ることと相成った。気がついてみたら、小さなプロダクションに所属して、小学館の学習漫画『少年少女 まんが日本の歴史』の編集を手伝っていた。
毎日を神田神保町で過ごす。本とレコード好きの小生にとって、これ以上の快楽があろうか。
昼休みは悠長な食事時などではあり得ない。
夥しい数の古本屋、老舗の新刊書店、中古レコード屋。毎日通ってもとても見きれるものではない。東京泰文社で洋書のペーパーバックでも漁ろうか、頑張って遠方の源喜堂まで歩いて美術雑誌を探そうか、それともササキレコード社でシングル盤を発掘しようか。選択肢は無数にある。立ち喰い蕎麦でもさっさと食べて、さあ、街へ繰り出そう!というわけである。
1982年10月5日、火曜。三十歳の誕生日当日だが、行動パターンは常と同じだ。
正午少し過ぎ。いつものように蕎麦を立ち喰いした小生は、靖国通りの一本裏の「すずらん通り」を早足で歩いていた。どこへ行こうとしたのか、もう定かではないが、おおかた東京堂書店へでも赴いて、新刊書目をチェックしようとしていたのだろう。
そのときのことだった。通り過ぎようとした店先から、TVかラジオの定時ニュースが断片的に聴こえてきた。
「カナダの世界的……亡くなりました……五十歳…」
心臓が止まるかと思った。思わず路上に立ちすくみ、周囲の街景が消え去った。
1982年10月4日、トロントの病院での死。その第一報だったのだ。
余りにも突然だし早すぎる。つい先日、五十の誕生日を祝ったばかりではないか。やはり彼は尋常ならざる人間だったのだ。老いも晩年も知らぬまま、潔く去っていった。ずっと持病を抱えた人生だったというが、「ゴルトベルク変奏曲」を再録音した時点で、ひょっとして彼自身には微かな死の予感があったのだろうか。
その晩は寝つけなかった。鍾愛のアルバムであるバッハの「小前奏曲と小フーガ集」を繰り返しかけて、この不世出のピアニストを偲んだ。
今日はグレン・グールドの二十五回目の命日なのである。