昨日『赤い鳥逃げた?』のサントラ盤で安田南の声に触れて、なんだか彼女の歌が無性に聴きたくなった。
手許にあるのはこのサントラ盤のほかは、やはりこの映画から「愛情砂漠」を唄ったシングル盤(日本ビクター/1973)、それに東京・青山のジャズ・クラブ「ロブロイ」でのライヴ録音で、実質的に彼女のデビュー盤であるLP 『South』(ベルウッド OFL 3002/1974)、これだけである。
安田南を身近に感じていたのは、彼女が作家の片岡義男と組んでDJを務めていたFM東京の深夜番組「気まぐれ飛行船」(月曜深夜一時~三時)を好んで聴いていたことが大きい。1975年のことだ。
やりとりの中味はもう忘れてしまったけれど、片岡が安田を相手に、なんというか、淡々と穏やかに、しかし他愛もない話を繰り広げるのを楽しんだ。二十代前半で鬱屈して暮らしていた小生には、ご両人の会話がなんだか浮世離れして、それでいてひどく格好良く聴こえたのだ。ふたりとも大人だなあ、と羨ましく感じられた。
安田南はすでに伝説的な女性だった。中津川フォークジャンボリーで騒動があったとき、ステージ上からキッパリと啖呵を切ったという武勇伝も聞こえていたし、何よりも西岡恭蔵の名曲「プカプカ」(原田芳雄の十八番でもあった)のモデルは彼女なのだ、との噂もあちこちで囁かれていた(これは事実であるらしい)。
でも「気まぐれ飛行船」で屈託なくしゃべる彼女には奇矯なところなど微塵もなく、「落ち着いた素敵なお姉さん」という雰囲気を漂わせていた。彼女の唯一の著書である『みなみの三十歳宣言』(晶文社、1977)を読むと、彼女が若くしてジャズ喫茶に出没し、黒テントの芝居にも係わったことや中津川での事の顛末、さらには「女房と子供がいる写真家」の恋人の存在までが語られるが、その文章も実に端正率直ですこぶる真っ当なものだった。
生で彼女を聴くチャンスだって何度かあったはずなのに、結局一度もステージに接することなく終わったのは残念でならない。ロック主体の荻窪や高円寺のライヴハウスと違って、当時はジャズ・クラブに通う習慣がなかったのだ。二十代の若造にはなんとなく敷居が高くて…。
ところで彼女のデビュー盤『South』の話なのであった。
ジャケットの標記を正確に写すと South. "Yasuda Minami Live at The ROB-ROY" となる。「ロブロイ」はもちろん行ったことがないが、安部譲二がまだ作家になる前、「ヤクザ稼業」の傍ら(?)青山に開いていたジャズ・クラブである。デビュー前の矢野顕子が夜な夜なセッションに加わったという伝説の店でもある(なにしろ彼女は安部宅に下宿していたのだ)。
安田南はこの店でたびたび歌っていたから、このディスクで聴けるのは当時の彼女の日常的な歌唱なのであろう。ステージのくつろいだ雰囲気が彷彿とする。小生はこれを70年代の終わり頃、銀座の中古レコード店「ハンター」で嘘のような安値で手に入れ、それ以来、折りにふれ大切に愛聴してきた。曲目を書き写しておこう。
Side A
Gravy Waltz
Bye Bye Blackbird
Good Life
Chains of Love
Side B
Summer Time
Yes Sir That's My Baby
I'm Walkin
Good Morning Heartache
Recorded at Jazz Club "ROB-ROY" in Aoyama 19th February 1974
これはいいアルバムだなあ。改めてそう感じた。バックを務めるのは山本剛トリオ(ピアノ=山本剛、ベース=福井五十雄、ドラムス=小原哲次郎)、それにアルト・サックスの大友義雄が加わる。シンプルでタイトな演奏である。ヴォーカルとの呼吸もいい。安田南の歌唱は実に屈託がなく、のびのびとしている。英語の発音が流暢、というだけでなく、音楽への言葉のノリ、スウィング感がとても好もしいのだ。それでいてどこか生身の危さを感じてしまうのは、その後の彼女の人生を知ってしまったからなのか。「サマータイム」など、絶唱と呼ぶには余裕綽々すぎる歌唱だが、もしその場にいたならきっと圧倒されたに違いない。
惜しまれてならないのは、安田南がこのあと三枚のアルバムを残したきり、忽然と姿を消してしまったこと。行方は杳として知れない。1978年のことだ。これほどの才能ある人がどうして…と誰もが残念がる。いろいろ風聞を伝え聞くのだが、不用意な発言は慎みたい。どこかで暮らしていることは確実らしいのだが…。
このアルバムがごく最近CDで覆刻された。実をいえば今回の聴取はそのCDからのものである。LP盤のほうは勿体なくて、もう二度と聴けない。
ここまで書いて、ネット上で素晴らしいレヴューをみつけた。映画評論家の梅本洋一さんの文章である。小生とほぼ同年代の彼は学生時代、ずいぶん彼女の生演奏を聴いたのだという。そのときのかけがえない体験を綴った真情あふれる文章だ。これを読んでいただくに如くはない(
→ここ)。