透かし彫りのように
街がきれいだ
不意に気づく
鳥を飛ばせ
赤い鳥を
それが虚しい祭りでも
1970年代に日本映画を観ながら青春を過ごした者ならば、この詞の一節を口ずさんだ記憶があるはずだ。藤田敏八監督作品『赤い鳥逃げた?』の主題歌である。
赤い鳥逃げた?
グループ法亡=東宝、1973
スタッフ:
監督/藤田敏八
脚本/藤田敏八、ジェームス三木
撮影/鈴木達夫
音楽/樋口康雄
助監督/長谷川和彦
キャスト:
原田芳雄(宏)
大門正明(卓郎)
桃井かおり(マコ)
白川和子、内田朝雄、穂積隆信、殿山泰司、地井武夫、戸浦六宏、山谷初男 ほか
何をやっても面白くない。生きているという手応えもない。所在なき日々を流されるように生きているチンピラの宏と、その弟分の卓郎。
その二人組がふとしたことから転がり込んだ先が、人目も憚らず上半身裸でいる不思議少女マコのマンション。これまた何をして暮らしているのか皆目わからぬ女の子だ。こうして行く先知れずの若者三人のあてどない共同生活が始まる…。
流れ者の男ふたりと女ひとり。ロベール・アンリコの『冒険者たち』やジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て!』、あるいはベルトラン・ブリエの『バルスーズ』をすぐさま連想させずにはおかぬ設定であり物語である。
マコはいかにもフーテンのように装ってはいるが、実は大病院の院長の令嬢である。田舎の温泉に潜んでいた三人がふと思いついたのは、マコが誘拐されたことにして、彼女の父親から身代金をせしめるという策略だ。
東京に舞い戻った三人は早速この計画を実行に移すのだが、しかし…。
題名の「赤い鳥」とは自由に羽ばたきたいという希求を託した言葉だろう。なぜ「青い鳥」でなく「赤い鳥」なのかは知らないが、三人が渋谷の歩行者天国を通りがかる場面で、桃井かおり扮するマコが、路上で売っていた「赤い鳥」の玩具(羽をばたつかせ、グライダーのように飛翔する)に興ずる、というシーンがあって、この題名の意味するところを明かしていた。玩具の鳥はすぐに失速して無残にも墜落してしまうのだが…。
最後にスクリーンで『赤い鳥逃げた?』を観たのは1995年10月。年若い友人に勧めて一緒に鑑賞した。渋谷のユーロスペース2で、と手許のノートに記されている。
それまでも折にふれ繰り返し観たから、このフィルムの鮮烈な印象を忘れはしないが、さすがに細部の記憶は曖昧だ。不思議にもこれまで一度もヴィデオにもDVDにもなっておらず、このままでは「幻の映画」になってしまいかねない。
そう思っていた矢先、『赤い鳥逃げた?』のサントラ盤LPがCDに覆刻された(USM Japan UPCY 6388
→これ)。実は疾うにこの4月に出ていたらしいのだが、小生も、わが旧友たちも、迂闊にも気づかずにいた。
信じはじめたばかり
風がきれいだ
不意に気づく
鳥を飛ばせ
赤い鳥を
それが明日の傷みでも
映画と同名のこの主題歌の作詞を手がけたのは福田みずほ。うろ覚えの記憶で恐縮だが、たしか当時、藤田敏八監督の奥さんだったのではないか。同じく挿入歌として唄われた「愛情砂漠」も彼女の作詞だ。「愛情砂漠を 歩いてきたの/ノアの箱舟 涙をつめて」という歌詞を憶えている方もあろう。どちらも怖いくらいの名曲である。曲をつけた樋口康雄の才能は瞠目に価する。
さてこの主題歌「赤い鳥逃げた?」をつき抜けるような声で謳い上げたのはジャズ・シンガーの安田南。明晰で透き通った発声、どこまでも空へと上っていくような素晴らしい歌いっぷりだ。この一曲の歌唱のみでも、彼女の名前は永く銘記されねばならないと思う。
一方の「愛情砂漠」は原田芳雄自らが朗々と歌っている。のちにバンドを率いてブルーズを歌うほどの人なのだが、今聴くといかにも若く初々しい。実は途中から桃井かおりと大門正明もコーラスで加わっているのだが、えらく小さい声なので殆ど聴き取れない。ちなみに、映画のなかではこの「愛情砂漠」を原田がギターを爪弾きながら口ずさむ場面のほか、安田南がこれを歌うヴァージョンもたしか聴こえていたと記憶するのだが、本サントラには安田の歌では収録されていない(日本ビクターからシングル盤で出た。当サントラはポリドール原盤)。
挿入歌はこの二曲のみであるが、サントラ盤には映画のほうぼうのシーンに挿入されたインストルメンタルも丹念に収録している(ただし順番は映画とは相当入れ替わっている模様)。
それらを聴くにつけ、映画音楽作曲家としての樋口の能力に舌を巻く。情景を喚起するセンスが抜群だし、アレンジの妙、メロディの発明力も並々ならぬものだ。ミシェル・ルグランを彷彿とさせる、といったら過褒かもしれないが、60年代末のバカラックやジャック・ルーシエの映画音楽に優に匹敵する出来映えではなかろうか。
それにしても、とつくづく思う。「やることがなくなったら二十代でも老人なんだ」という原田芳雄の台詞に、「ああ、耳が痛いなあ」とひとりごちた若者たちが今やホンモノの老人になろうとしている。なんということだろう。われらの赤い鳥はどこへ飛び去ってしまったのだろうか。
思い出がまぶしい
だれもがきれいだ
不意に気づく
鳥を飛ばせ
赤い鳥を
それが小さな別れでも