(承前)
エクス=アン=プロヴァンス国際音楽祭の主催者たちが私にモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の舞台美術を手がけるよう依頼してきたとき、そこには歌劇場なぞ存在しなかった。かつての大司教館の中庭があるだけ。なるほどこの中庭は音響的には悪くないし、彼らが考えるとおり、そこに恒常的な構築物を伴ったステージを組み上げ、中庭側の建物の正面を背景として利用することは確かに可能だろう。とはいうものの、モーツァルトのオペラの劇的な展開に沿って、異なった場面を繰り出し、際立たせることは、舞台の構造にとって欠くべからざる要素となる。したがって、ひとつだけの装置、包括的な単一のステージで展開させるのは(それが「パラーディオ式」舞台であっても)、甚だ至難の業と言わねばならない。私はさらに指摘した。オペラとは自律的な世界なのだから、やはり自律的な劇場空間を必要とし、さまざまな場面が連続する場合も、空間の一体感を保つことは必須なのだ、と。音楽祭の主催者たちは、「ドン・ジョヴァンニ」の舞台装置のみならず、同時に野外劇場をも設計するよう、私に依頼した。この空間においてこそ、私が彼らに説いて聴かせた舞台装置のコンセプト──18世紀の上演方式を初めて具現化したもの──に即したオペラ上演が可能となるのだ。
ついつい長大な引用になったが、これはカッサンドル自身がエクス=アン=プロヴァンスの仕事を引き受けた経緯を物語った「エクス=アン=プロヴァンス音楽祭の野外劇場 Le Théâtre en plein air du Festival de Musique d'Aix-en-Provence」(1950)という文章の冒頭部分である。
劇場も存在しないのに音楽祭を立ち上げ、モーツァルトのオペラを上演する。考えてみたら随分と向こう見ずな企てだ。ザルツブルクやグラインドボーンとは訳が違う。
1947年、『コシ・ファン・トゥッテ』上演で幕を開けたエクス=アン=プロヴァンス音楽祭は、歴史的建造物である旧司教館の中庭をその開催場所とした。1,045平方メートル、というから一辺30メートル余りのほぼ正方形の敷地。与えられた空間はそれだけだ。
初年度ゆえ、中庭に設置された舞台も客席も、急拵えの貧相なものにすぎなかった。プロデューサーのデュシュルジェがカッサンドルに相談を持ちかけたのはその直後、第一回目の音楽祭をなんとか乗り切った47年秋のことである。
(まだ書きかけ)