午後はずっと国会図書館でマイクロフィッシュ。例に拠ってフラフラ、クタクタになる。
今日の調べものは昭和初年に文藝春秋社が刊行した『手帖』(1927)という短命な雑誌、同じく『モダン日本』という月刊誌。前者は小里文子が係わっていた可能性があるのだが、誌面からはその痕跡は辿れなかった。後者は1931年の一時期、石井桃子が編集部に在籍していたことがわかっているのだが、早稲田大学図書館が作成したマイクロは肝腎のこの時期がごっそり欠落していて使いモノにならない(これではマイクロ化するに価しないではないか!)。
そんなわけで、今日はほとんど収穫はナシ。まあこんな日もあるさ。先日、近代文学館でコピーした『婦人サロン』は図版が真っ黒でほとんど見えなかったので、改めて該当頁を拡大コピー。国会図書館のマイクロも、同じ早稲田大学図書館製作の画質の悪いフィッシュなので、ひどく暗い画像でしかないが、石井桃子が写り込んでいる写真を二点、どうにかプリントアウトしたのがまあ収穫と呼べるかな。
時間が前後するが、その前にブリヂストン美術館にも立ち寄った。展示中の青木繁『海の幸』をじっくり観ておこうと思い立ったのだ。
三か月に一度、20世紀美術を紹介する連載がまだ続いていて、今月末がその締切なのだ。今回から日本美術を採り上げていく。『海の幸』(1904)は恰好の作品ではないかと思ったのだ。折りから同館ではこの絵にちなんだ特集展示を組んでいるので、間近に観察してみたかったのだ。ずいぶん久しぶりのブリヂストン美術館。でも落ち着くなあ、心が和むなあ、この場所は。
いちばん奥の展示室で聴き慣れた声がする。入ってみると、『海の幸』の前で学芸員の貝塚健さんが団体客に流暢なギャラリートークをされている。これ幸いとばかりに、人影に隠れてこっそり耳を傾ける。
この作品には白馬会展出品後に加筆されている由。その際に恋人・福田たねの顔が描き加えられたとされるが、確証はないのだという。また、粗仕上げながら最終的にこれが未完なのかどうかもわからないそうだ。う~ん、凄い絵であることは確かなのだが、そもそもこれは何を描こうとした作品なのか、小生には皆目わからない。短い作文だとはいえ、果たしてこの絵のことが正しく語れるだろうか。
トークのあと、貝塚さんにご挨拶。以前、ここの土曜講座に招いていただいたことがある。お会いするのはそのとき以来か。
先程の団体は、青木が『海の幸』を描いた千葉県の布良(めら)からの来訪者なのだという。道理で鋭い質問が飛んでいたわけだ。そのあと、美術館のカフェで貝塚さんと少し話す。彼はしばらく体調を崩され館を休まれていた。風の便りにそう聞いて心配していたのだが、もうずいぶん元気になられたようでホッと一安心。なんといってもブリヂストンは私立美術館の雄、最も美術館らしい美術館なのだし、その中心的存在である貝塚さんには今後も永く活躍してほしい。
帰宅はちょうど日没時。電車の車窓から見ると中空には見事な半月。富士山がくっきりとシルエットで浮び上がり、西の空が青からオレンジへと鮮やかなグラデーションを描く。まるで広重の錦絵のよう。あるいは加藤泰の映画のホリゾントのよう。
家に帰りつくと、アマゾンで取り寄せた中古書籍が届いていた。『海の幸』に関する大判の浩瀚な研究書。今から泥縄的に勉強しようという魂胆なのだが、果たしてなんとかなるのか知らん。