いやに湿っぽいなと思ったら、やはり雨になった。夕方、パリ留学から帰った若い友人の歓迎会があるというので神楽坂の料理屋に着いた途端、ザーッと盛大に降り出し、おや困った、傘がないのにと思っていたら、ほどなく止んでしまった。
二年間のパリ生活は愉しいことばかりだった、と屈託なく懐かしそうに語る二十七歳の彼女。戻れるものならすぐにでも戻りたいという。外国へは旅行者としてしか出かけたことのない小生にはその気持ちがなかなか理解できない。
憧憬の地ではあっても、そこに住んでしまったらお終いさ。遠く憧れているうちが花なのだ、と日本に縛りつけられた貧書生は負け惜しみめいてひとりごちる。
帰路はそのパリ帰りの彼女と同方向なので地下鉄に途中まで同乗。フランスの想い出に耳を傾けていたら何だかこちらまでパリに飛んで行きたいような気分になってきた。ああ、懐かしのサン=マルタン運河よ、そこに浮かぶ平底船では五十人の観客のために今夜もオペラを演っているのだろうか…。
乗換駅の西船橋で三十分近く間があるので、駅構内の書店に立ち寄ったら『すばる』の十月号が並んでいた。先月に世田谷で観た井上ひさしの『ロマンス』全幕が載っているというので一も二もなく購入。ざっと目を通したが、随所で挿入された「替え唄」の元歌がなんであるかはト書きに明記されていない。う~ん残念。あれからずうっと気になっていたのだ。冒頭でガーシュウィンが唄われたという記憶もだんだん朧げになり、自信がなくなってきた矢先。
本号の『すばる』では、吉田秀和さんがマーラーの歌曲集『子供の魔法の角笛』より「ラインの小さな言い伝え」について素晴らしいエッセイを寄せているほか、特集「追悼 小田実」に瀬戸内寂聴が心情溢れる文章を献じていて、これらは必読だろう。
寂聴尼が電話すると、どきっとするほど暗い声で「もうあかんわ、手遅れで処置なしと医者が云いよるねん。まだ死にとうないわ。死なないお経でもあげてくれよ」と言ったという。
東京の病院へ、私は二度見舞いました。順恵さん[小田の奥さん]がつきっきりで看病していて、痛々しく疲れきっていました。小田さんはぎょっとするほどやつれていましたが、話すうちに顔に生気がよみがえってきました。
「私はもう充分生きたから小田さんに代ってあげたい、ほんとに代ってあげたい」
というと、小田さんは私の手を痛いほど握りしめました。
「いい奥さんあてたね。よかったね」
「うん、あたった!」
と無邪気な笑顔を見せました。
小田実と寂聴尼がこんなに親しい間柄とは知らなかったが、時代を共にする作家同士の性別を超えた友愛と共感がひしひしと感じられた。
斎場には行かず寂庵でひとり読経していると、まだ成仏せず中有に漂う小田の声が寂聴尼にはっきり聞こえたという。「なあ、おれのぬけたあと、九条やってや」と。