(承前)
第二次大戦後まだ間もない1948年夏、プロデューサーのガブリエル・デュシュルジェの発案により、南仏エクス=アン=プロヴァンスで初の音楽祭が開催される運びになった。これが先行するザルツブルクやルツェルンといった夏のフェスティヴァルに想を得たものであることは明らかだが、より直接には1934年に英国で始まったグラインドボーン音楽祭こそがその発想の原点であったとおぼしい。手頃な大きさの劇場的空間を用意して、そこで理想的なモーツァルト・オペラを上演する、というアイディアは、まさしくグラインドボーン音楽祭の創設者ジョン・クリスティが思い描いたものだったからだ。
グラインドボーンがそのために不世出の指揮者フリッツ・ブッシュを擁したように、デュシュルジェも彼の音楽祭のかなめとなる「モザルティアン」、すなわち優れたモーツァルト指揮者をリクルートしてくる必要があった。
「モーツァルトのオペラだったら、ハンス・ロスバウトこそが適任だ」──そう助言してくれたのは指揮者仲間のエルネスト・ブールだったという。ロスバウトには第二次大戦中、ストラスブール(シュトラスブルク)で活躍した前歴があり、その抜擢にはいささか難色を示す向きもあったのだが、デュシュルジェの決意は揺るがなかった。フリッツ・ブッシュに勝るとも劣らないマエストロをなんとしてもエクスに招聘せねばならない。音楽祭の正否はひとえにこの人選にかかっていることを彼は熟知していたのである。
ハンス・ロスバウトはデュシュルジュの期待にものの見事に応え、それから十一年もの間、モーツァルトのオペラを振り続けた。
1948年/コシ・ファン・トゥッテ
1949年/ドン・ジョヴァンニ
1950年/ドン・ジョヴァンニ、コシ・ファン・トゥッテ
1951年/後宮からの誘拐
1952年/ドン・ジョヴァンニ、フィガロの結婚
1953年/コシ・ファン・トゥッテ、フィガロの結婚
1954年/ドン・ジョヴァンニ、後宮からの誘拐
1955年/コシ・ファン・トゥッテ、フィガロの結婚
1956年/ドン・ジョヴァンニ
1957年/コシ・ファン・トゥッテ、フィガロの結婚
1958年/ドン・ジョヴァンニ
ご覧のとおり、『魔笛』を除くモーツァルトの主だったオペラはロスバウトの指揮でエクスの舞台にかけられたことがわかる。しかも幸運なことに、採り上げられた四演目がことごとくライヴ収録され、今ではその全曲演奏をCDとして聴くことができる。上の年表で朱字で示したのがそれである。
とりわけ『ドン・ジョヴァンニ』に関していえば、1950、52、56、58年の四種類の実況録音を聴き較べることができる! その時代に遭遇する「才能」を持ち合わせなかった者にとって、なんという僥倖であろうか。
(明日につづく)