昨夜は飲み会で帰宅が深夜になったばかりか、旧友たちと語らった昂奮が醒めやらず(トーキング・ハイとでもいおうか)、結局三時過ぎまで起きていた。
そんなわけで今朝は寝坊を決めこみたかったが、六時過ぎに起床した家人につられて寝床から這い出し、濃い珈琲を飲んで朦朧たる心身を無理やり覚醒させる。
そうなのだ。今日は家人がその末席に連なる日本舞踊「ひさ女の会」、その三年に一度の発表会当日なのだ。そういえば、このところ「夕鶴」の「つう」よろしく、部屋を締め切って練習にいそしんでいた。直前になっても振りの所作が体得できず焦っていたとおぼしい。
家人が日本舞踊を習うようになったきっかけは全くの偶然。五年前、たまたま近隣の夏祭りの盆踊り大会で指導にいらした藤蔭流の藤蔭壽女(ひさじょ)師に誘われて、軽い気持ちで始めたのだという。文字どおり五十の手習いを地で行った形であるが、感心なことに毎週一回の練習に欠かさず通い続け、それなりの上達を遂げた由。まあゼロからの出発であるから、長足の進歩と呼んでもあながち間違いではなかろう。
荷物をまとめてタクシーで慌しく出立した家人に遅れること二時間、当方は悠然と自転車をこいで会場の美浜文化ホールへと到着。この七月に新しくできたばかりの官立の文化施設。収容人員三五〇人ほど、客席が急勾配になった観やすいホールだ。最前列が空いていたのでそこに陣取って開演を待つ。
これはバレエやモダン・ダンスでもそうだが、一門の発表会の例に漏れず、今日の会も総上演時間が恐ろしく長い。朝の十一時からなんと夜の七時半までかかるのだという。とても全部を見通す気力はないので、冒頭と中程を数時間だけ覗かしていただこう。家人は門下では経験の乏しい若輩者なので登場順は早いほうである由。
最初の演目は藤蔭壽女師が同じ藤蔭流一門の女性二名の賛助を得て三人で踊る長唄「雨の四季」。標題どおり、折々の雨の風情と行き交う市井の人々を暗示的に表した静かな踊り。素人目にも流石の巧さと感じられる。所作の隅々まで細やかな神経が通っているのがわかる。
そのあとは門人たちがキャリアの浅い順に登場して、ひとり一演目ずつ踊っては退場するという、ディヴェルティスマンのような構成で進む。
まずは八歳の椎名悠君が凛々しく長唄「松の緑」を、そして十歳の細坂桃ちゃんが初々しく常盤津「屋敷娘」をそれぞれ踊って、満場の喝采をさらう。客席のほうぼうで「まあ可愛い」「とてもお上手」と称賛の声と溜息が洩れる。
家人の登場はまさにその次だったので、これはちょっと気の毒ではないか、子供たちのあとではどうにも分が悪すぎるぞ、と同情してしまった。演目は長唄「秋の色種」という。色種は「いろぐさ」と読むのだそうだ。まるで知らない方面なので、パンフレットの解説を写しておこう。
「吾妻八景」と共にお座敷長唄、いわゆる伴奏音楽ではない純音楽的なものとして作られた曲。秋の景物を叙情的に描いており、気品もあり、優雅な踊りです。
ええと、よくわからないが、そういうことです。とにかく気品と優雅に溢れた曲であり踊りであるわけなのだが、家人の踊りが果たしてその範疇に入るか否かはなんとも評しがたい。
菊と紅葉を配した艶やかな振袖姿、日本髪の鬘に白塗りのいでたちで登場すると、これはもう見知った人物とはまるきり別人の趣があり、ただもう舞台を呆然と見つめるほかなかった。
身内だから贔屓目に見るわけではないが、思いのほか貫禄たっぷり、落ち着き払って踊るのにはちょっとびっくり。教えられた振りをただ踏襲している感は拭えないが、十五分間近い長丁場をさしたる過誤なしに乗りきったのは偉とするに足る。
せっかく最前列にいるのだからと、持参のデジカメで十数カット撮影。本当はいけないのだが、まあいいのだ。
こうして家人の出番が終わり、そのあと数名の先輩の方々の踊りも拝見。さすがに皆さん、危なげがなく、余裕たっぷりに踊られる。手の所作と視線に感情が篭められているあたり、さすがに一日の長がある。そうか、してみると家人の芸はまだまだだったんだ、とすぐさま思い知らされる。
短い休憩を挟んで第二部は、名高い歌に合わせて踊るセクション。「祗園小唄」「越後獅子の唄」、「浪花節だよ人生は」果ては「冬のソナタ」!まで繰り出して、各人各様の踊りが披露される。たまたま急病とかで欠場者があり、急遽その穴を会主の藤蔭壽女師が踊る一幕があったのだが、さすがに師匠の踊りはさり気ない所作のひとつひとつが洗練され、優雅を極めていて、しかもいちいち意味深いのだ。これはまるきり隔絶したレヴェルの芸であると実感させられた。
第二部の最後は、壽女師のお嬢さんの藤蔭静寿(しずひさ)が前田新奈(ご友人のバレリーナ)と組んで、ラヴェルの「ボレロ」全曲を二人踊で披露した。白黒二色に染め分けた衣裳が目にも鮮やか、しかも旧来の所作の煩わしさを排した振付がたいそう新鮮。どう言ったらいいのか、さながらバランシンが日本舞踊を振り付けたような、そんな舞台であった。これは思いがけない眼福を味わった。
(まだ書きかけ)