(21日のつづき)
いきなり全員が登場して唄うガーシュウィンの替え歌で幕を開けた『ロマンス』、いったいどうなることかと息を呑んだ。
数年前に観た同じ井上ひさしの『夢の裂け目』は全幕クルト・ワイルの替え歌尽くしだったので、このチェーホフ家のドラマもまた同じ趣向なのかしらん、まあガーシュウィンもロシア移民の子なのだから…と考えていたら、さすがにそのあとは違った。使われる歌はその他いろいろだった。
ともあれ、随所に歌が差し挟まれ、肝腎なところは全部、歌で物語り、説明し、感得させるという、『ひょっこりひょうたん島』以来お馴染の作劇法なのである。
題名の「ロマンス」とは直接はチェーホフとオリガ・クニッペルとの恋物語を表しているのだろうが、それとは別に、この芝居にはチャイコフスキーの美しい抒情歌曲(ロマンス)が、これまた井上の手になる替え歌として効果的に用いられ、物語全体を薫り高く彩り、登場人物それぞれの心の襞を映し出す。チャイコフスキーはチェーホフより二十ほど年上だが、両者の間には交遊もあったらしい。
劇中で歌われるのは作品6の歌曲集から、誰もが知る「ただ憧れを知る者のみが」と「なぜ」の二曲だと思う。このあたりは会場で購めたプログラム冊子にも曖昧にしか記されていない。聞くところによれば、今回も井上の台本執筆は遅れに遅れ、脱稿は初日のわずか二日前というから、選曲にまつわる事の次第はとても冊子の編集には間に合わなかったとおぼしい。
小生の記憶する限りでは、ふたつの歌のうち、「ただ憧れを…」のほうがより重要な媒体として用いられ、替え歌として歌われたばかりか、その旋律は繰り返しピアノで奏でられ、輻輳し絡み合う兄と妹、作家と女優、夫と妻の心模様をしみじみと照らし出していたと思う。
もうひとつ、これはチェーホフがモスクワのレストランでスタニスラフスキー、ネミロヴィチ=ダンチェンコと会食する場面だったと記憶するが、そこに煙草を売りに来た駈け出し時代のクニッペル(大竹)が唄う「タバコのワルツ」という売り歩き歌があった。どこかで聴いたことのあるメロディだなあ、と思っていたら、これはなんと、四十年前の『ひょっこりひょうたん島』の挿入歌であるらしい。もちろん歌詞は新作だが。この曲も含め、この芝居全体の音楽監督を務めたのが、ほかならぬ宇野誠一郎なのだ。
人生はヴォードヴィルだ、歌あり笑いありの軽演劇なのだ、チェーホフの人生もまた然り──井上は自らの人生観、演劇観をそっくりそのままチェーホフに投影している。そこにちょっぴり我田引水的な作為を感じてしまうのだが、芸達者六人を得て、『ロマンス』が笑劇として大いに楽しめ、最後はしんみり心に染みる歌芝居、それ自体が上質なヴォードヴィルに仕上がっていることは疑いない。
また再演時にじっくり観直してみたい。そうだ、そのときまでに、少しはチェーホフを読んでおこう。