久方ぶりに『ビリティスの歌』を聴き、鈴木信太郎の絶妙な翻訳を拾い読みしていたら、しばし時と所を忘れてしまった。
1970年のことだったと思うのだが、フランスの古典音楽学者で指揮者のジャン=フランソワ・パイヤールが突如「ドビュッシー・アルバム」を出して、その見事さでわれわれをアッと驚かせた。曲目は「小組曲」(ビュセール編曲)、ハープと弦楽のための「神聖な舞曲と世俗の舞曲」、そして「六つの古代のエピグラフ」である。
これを聴いてみて吃驚した。弦楽合奏で奏されるこの「六つの古代のエピグラフ」は『ビリティスの歌』とおんなじ音楽だったのだ。
真相はこうだ。1901年の初演がみじめな失敗に終わると、ドビュッシーは『ビリティス』のための音楽を封印し、「抽斗にしまい込んだ」。十数年後、彼は抽斗を再び開け、『ビリティス』から六曲を抜粋してピアノ連弾用に編曲・再生させた。題して「六つの古代のエピグラフ」、原題は Six épigraphes antiques という。1914年に完成、翌年には楽譜も出た。
「エピグラフ」とは記念碑や墓碑に刻み込まれた銘文のこと。ピエール・ルイスの詩集『ビリティスの歌』の最後に、彼女の墓に刻まれた碑文として、三つのエピグラフが収載された顰みに倣ったのであろう。当時ドビュッシーはすでにルイスと仲違いしてしまっていたので、この題名の「碑銘」には、過ぎ去りし若き日の記憶を刻印し葬る意味もあったのではないだろうか、とこれは小生の想像だが。
ドビュッシーはこの四手のためのピアノ曲をいずれオーケストラ曲に書き直す意向だったらしいが、戦争の勃発やら諸事多忙やら癌に蝕まれるやらで、結局その計画は烏有に帰す。
作曲者の意向を汲んで、その歿後これを管弦楽曲に編曲したのが指揮者エルネスト・アンセルメだった。1932年のことである。オーケストラ版「六つの古代のエピグラフ」は残念ながら人口に膾炙しなかった。編曲が今ひとつ冴えなかったこと、アンセルメ自身がモノラル録音しか残さなかったことなどが災いしたのだろう(死後、手兵スイス・ロマンドを振った最晩年のライヴ、シカゴ交響楽団を指揮した実況録音がステレオで出た)。
以上のような推移を踏まえたうえで、いわば「屋上に屋を重ねる」覚悟で、パイヤールは弦楽アンサンブルのみによる新たな編曲に取り組んだのである。
結果はどうだったか。
これこそ近代フランス音楽の粋といいたい、繊細きわまりない編曲であり、演奏であったのだ。
パイヤールはその1970年、大阪万博のため手兵を率いて来日し、この曲をさっそく披露している。それを聴いた当時の吉田秀和の評言を引こう
。「凄く巧いですねえ。もし、世の中に〈最高なもの〉があるとしたら…、それはルドルフ・バルシャイとモスクワ室内管弦楽団によるプロコフィエフ『束の間の幻影』の編曲と、それからこの演奏ですね!」(1970年6月28日放送、NHK・FM「音楽時評」より/小生が書き留めた当日のメモより)。
パイヤールのディスクは、果たして今でも聴けるのだろうか。小生の手許にあるのは1989年と記された前世紀末の古いCDである(BMG Erato B18D-39150)。
(追記)
調べてみたら、大丈夫、まだ手に入るらしい。2003年に出た再発CDのようです(例えば
→ここ)。まあ、騙されたと思って、お聴きになるがいい。あまりの心地良さに、さしもの酷暑も涼しく過ごせること請け合いですぞ。