目覚めたら外は小雨がそぼふる。ようやく人心地がつけそう。
Early Morning Rain という旧い歌があったっけかな。それでもいいが、もうひとつ別の音楽のことがふと思い出される。ドビュッシーの朗読付き室内楽『ビリティスの歌』(1900)だ。友人のピエール・ルイスの依頼で詩篇に付曲したものだ。黙劇による上演のためだという。
そのなかの「朝の雨」という曲、元の詩を引こう。むろん鈴木信太郎の鏤骨の名訳から(ピエエル・ルイス『ビリチスの歌』 講談社文芸文庫、1994)。
夜は消え、星は遙かに遠ざかり、後(のち)まで残つた遊女(あそびめ)も恋人と共に帰つて、今はただ妾(わたし)だけ、朝(あした)の雨に濡れそぼれ、砂の上に 詩を書いてゐる。
木の葉は 輝く水に濡れ、小経(こみち)を横切る行潦(にはたづみ)、土と朽葉の流されて、一滴(ひとしづく)また一滴、妾の歌を 穿つ 雨。
おお、ここに ひとり悲しく。若人(わかうど)に かへりみられず、年老いた人も 妾を忘れ果て。あはれ この世のならひかな。けれども 妾の詠む詩(うた)は、いつかは人に知られよう、人の子の子に 知られよう。
ミルタレ、タイス、グリケラも、豊かな頬の顰(しか)む日に、わが身を語りはせぬだらう。されば後の世に生れ 恋を語らふ人々は、妾の詩(うた)を 諸声(もろごへ)に 高く歌はう。
ビリティスは紀元前六世紀の古代ギリシア、レスボス島に実在した遊女、その彼女が密かに書き遺した詩篇が千数百年の時を経て奇蹟的に発見され、それを早熟の世紀末詩人ピエール・ルイスが仏語訳して刊行した…という虚構を設けたうえで、ルイスは想像力の限りをつくし、いにしえのレスビアン詩人に自らなりきって、艶麗なる官能詩篇を書き綴ったのである。
ドビュッシーは詩集『ビリティスの歌』から十二篇を選び、各詩篇の朗読の前後にフルート二本、チェレスタ、ハープ二台からなる室内楽の短い「間奏」を付けた。1901年2月7日の私的な初演ではドビュッシー自身がチェレスタを即興で奏したらしい。自筆譜にはそのパートが書き込まれていないのである。それを半世紀後の1954年にピエール・ブーレーズが補筆完成させたのが今日ある『ビリティスの歌』である。
(註記)現行楽譜はそれとは別にアルテュール・オエレが復元校訂した版らしい。
この鈴木信太郎の訳文が肉声で詠まれるのを聴いたことがある。1972年3月14日、この曲が日本初演された宵のことである。
当時この曲は楽譜も出版されず、ほとんど秘曲扱いだったが、ヴェラ・ゾリーナ(バレリーナ・女優でバランシンの元夫人)の朗読、ロバート・クラフト指揮によるLPが出ていたので、ドビュッシー好きの小生はこれを繰り返し聴いていた。今聴いたならきっと不満足な演奏だろうが、これしかなかったのだ。
小生の手許にはカトリーヌ・ドヌーヴが朗読したCDがあるはずなのだが、すぐには出てこない。
そこで今朝は別の演奏にする。ロンドンのナッシュ・アンサンブルが「間奏」を手がけ、朗読はかのデルフィーヌ・セイリグが受け持っている(Virgin Classics VC 7 91148-2)。これはこれで素晴らしい、声と楽器の水際立ったアンサンブル。世紀末のパリジャンたちが夢見た儚くも美しい古代の幻影に、しばしうっとり聴き惚れる。
三十五年前の実演ではオーレル・ニコレやウルズラ・ホリガーらのアンサンブル、朗読は民芸の松本典子さんが務めた。タクトをとったのはなんとハインツ・ホリガーだった! ドビュッシーのソナタと室内楽の夕べだったので、当夜はほかに出番が無かったのだ。なんとも贅沢な時代だったなあ、と溜息をつく。