小学生の頃、いっぱしの天文少年だった。
リアルタイムで進行中の米ソ宇宙開発競争の影響もあったが、なんといっても大きかったのは野尻抱影の『天体と宇宙』(偕成社、1962)という子供向け入門書からの感化だ。親にせがんで天体望遠鏡を買ってもらい、土星のリングや木星の衛星を眺めてひとり悦に入っていたっけ。
その後、美術や音楽に興味が移ってからも、科学全般、とりわけ科学史には並々ならぬ関心が継続した。中学時代から十八、九になる頃まで、天文学者や医学者の伝記を読みふけるのが無上の楽しみだった。先に取り上げたアーサー・ケストラー(
→ここ)のケプラー伝やコペルニクス伝ともその時期に遭遇した。
さて、当時に読んだあまたの伝記類や科学史読物のなかで、そのスリリングな展開で断然他を圧していたのが次の一冊である。
ユールゲン・ソールワルド著、塩月正雄訳
外科の夜明け
東京メディカル・センター、1966
この本は刊行間もなく、神保町の東京堂書店でたまたま見つけたのだと思う。450頁以上ある大冊で、当時としては高価な1,600円もした。中学生にはさぞかし手痛い出費だったはずだ。
でもこれは素晴らしい本だった。一万円出しても惜しくはない。ハラハラわくわくドキドキの連続で、並の冒険小説なんか目じゃない。それくらい手に汗握る展開なのだ。昂奮のあまり、寝る間も惜しんで通読したのをよく憶えている。
『外科の夜明け』はドイツ語の原題を "Das Jahrhundert der Chirurgen" という。すなわち「外科の一世紀」だが、邦題でいみじくも「夜明け」と形容されている「一世紀」とは19世紀を意味している。
この百年間で、今日のわれわれが知る外科治療の礎が築かれた。もちろん、心臓外科も脳外科もまだ端緒についてすらいないが、まがりなりにも開腹手術ができるようになったのは19世紀の医師たちの努力の賜物なのである。
それ以前の外科手術といえば、患者にとって想像を絶する恐怖であり、地獄の苦しみであり、しばしばそれは死という悲劇的な結末をもたらした。
なにしろ、そこには麻酔がない。消毒がない。止血法がない。
麻酔なしの手術なんて今では信じられないだろうが、19世紀後半になっても大半の外科医はそれを平然と行っていた。堪えがたい痛みでそのまま悶死する患者があとを絶たなかったし、出血が止まらず失血死に到る者も多かった。苦痛に雄々しく耐えた者を待っていたのは傷口からの感染による新たな苦しみ、そして発熱と衰弱の果ての死であった。
例えば盲腸になったら死を覚悟せねばならぬ。それが19世紀までの常識であり掟であった。
実際、フランスの首相レオン・ガンベッタは虫垂炎の悪化により命を落としている。一国を代表する錚々たる医師団ですら、危険過ぎる開腹手術に踏みきれなかったのだ。1882年の出来事である。
こんな悲惨な状況が信じられようか。
(明後日につづく)