あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が血潮を 流しているの
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも 焼きつくされた
あたしの夏は あしたもつづく
打ち上げられた ヨットのように
いつかは愛も 朽ちるものなのね
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
想い出さえも 残しはしない
あたしの夏は あしたもつづく
いきなりこの歌から始めるのもなんだか芸がない気もするが、八月といえば条件反射のように、どうしてもこの歌詞とメロディが口をついて出てきてしまう。「八月の濡れた砂」──言わずと知れた藤田敏八監督の同名の映画の主題歌である(作詞:吉岡治/作曲:むつひろし)。
この曲を唄ってデビューを果たした石川セリは、そのアレンジがどうにも嫌で嫌で仕方がなかったそうだ。たしかにファースト・アルバム『パセリと野の花』(1972)のなかで、冒頭に置かれたこの一曲だけが際立って異色であり、樋口康雄が作・編曲を手がけた他の楽曲のポップで垢抜けた風合いとは水と油、ひとり居心地が悪そうに聴こえる。
だが、ひとたびこれが映画館の暗闇のなか、銀幕に埋め込まれたスピーカーから流れ出すや、その効果はまことに絶大である。
若者たちのやり場のない怒りと苛立ち。その鬱屈したわだかまりが波間を漂うヨットの上でついに暴走、炸裂する。耳をつんざく銃声。そして誰もが茫然自失してその場に立ちつくす。
洋上のヨットを上空から捉えたキャメラは、ゆるゆると揺らめきながら上昇してゆき、陽光の照りつける紺碧の海原を広く視界に捉える。
と、そのときである。
緩やかに画面を巻き上がるエンドロールにかぶさるように、どこか遠いところから、あの気だるい歌声が、言いようのない哀しみを秘めつつ、静かに聴こえてくるのである。
セリ自身が好むと好まざるとに拘らず、「八月の濡れた砂」に由来するイメージの連鎖、すなわち陽光、海浜、潮騒といった夏の情景と、彼女はもはや無縁ではありえず、光と影が交錯した、眩さのなかの倦怠や喪失感といった微妙なニュアンスを醸すユニークな歌手と認知されるに至る。
最後の汽車に乗って「海の街」へやって来た「おさない二人」がそのまま心中する(「持ち主をなくした靴が 二つ寄りそい 潮騒をきいていました」)という、意味深長で衝撃的ですらある歌詞をいともさりげなく歌った「小さな日曜日」。
「心の傷を街へ残し一人 私は海へ来る」「涙の中に飛べない鴎を見ても 私は動かない」と謳い上げる「海は女の涙」。これは日活映画『哀愁のサーキット』の挿入歌だった(作詞は村川透監督によるもの)。映画は救いようのない凡作だったが、この海の歌は忘れがたい佳曲である。
そして極めつきは「遠い海の記憶(つぶやき岩の秘密)」。
いつか思い出すだろう
おとなになったときに
あの輝く青い海と
通り過ぎた冷たい風を
君を育くみ見つめてくれた
悲しみに似た風景
追憶の片隅で
そっと溶けてしまうのだろう
今だ 見つめておけ
君のふるさとを
その美しさの中の本当の姿を
この一途な少年のような生真面目な歌詞(=井上真介)も、真摯とアンニュイとがちょうど半々に入り混じったセリの歌唱で聴かされると、ちっとも絵空事には思えず、なんとも感動的な海景が眼前に広がるようだから不思議だ。
嘘だと思ったら、ぜひともお聴きになるがいい。
以上の「海の歌」がすべて収録された新編集アルバム『SERI sings PICO~パセリと野の花+13』(ウルトラ・ヴァイヴ CDSOL 1070)が絶対的にお奨め。2003年発売だが、amazon ではまだ手に入るようだ。
早起きして近くの海岸まで自転車を走らせ、砂浜でこのアルバムに耳を傾ける。これぞ小生の夏の密かな楽しみである。もちろん本物の潮騒を聴きながら、だ。