(承前)
アーサー・ケストラーの『サンバガエルの謎』の続き。
生物学者パウル・カンメラーの謎の自殺を重要なモティーフとしながら、結局その「謎」は最後まで謎のままで終わり、決定的な死の要因を特定できなかったわけだから、この評伝にはどこか腑に落ちないもどかしさが読後感として残る。
それはたしかに本書の欠点なのだろうが、その短所を補って余りあるのが、カンメラーを育んだ19世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーン、爛熟した都市文化に対するケストラーの的確な眼差しであろう。
マーラーとシェーンベルクを、クリムトとシーレを、そしてフロイトを生み出したハプスブルク朝末期のウィーン文化。カンメラーはまさしくその申し子だったのである。
生物学者の道を選ぶか、作曲家になるか、大いに迷ったと伝えられるほどカンメラーは音楽に造詣が深く、マーラーとも親交があったそうな。
彼はそのうえ、マーラー亡きあとの一時期、未亡人アルマの周辺にいて、その愛人でもあったのだという。周知のとおり、アルマは画家ココシュカ、建築家グロピウス、作家ヴェルフェルと次々に同棲、再婚したのだが、カンメラーにも充分その資格があったらしいのだ。
カンメラーは結局、名家の女性と結ばれ、それなりに安定した家庭を築くが、その人生には常にラヴ・アフェアの影がつきまとっていた。早い話、彼はひどく女性にもてたのである。
彼の突然の悲劇的な死にしても、実験標本の捏造疑惑ではなく、女性問題こそがその直接的な原因とする説もまた根強いのである。ケストラーはその線も執拗に手繰っている。
最晩年のカンメラーは革命後のソヴィエト政権から招聘を受けた。慌ただしくモスクワ行きの準備をしていたのだが、当時つきあっていた女性が同行を拒んだのに絶望して、自死を選んだ可能性も否定できないのである。その恋の相手とは、有名なウィーンの舞踊家ヴィーゼンタール姉妹の長姉だったというから驚かされる。
獲得形質が遺伝するとするカンメラーの主張がソ連政権から大いに歓迎された、というのも、きわめて意味深長なエピソードであろう。
新しい社会的環境の創出が生物体としての人間を進化させ、「新しい人間」を誕生させる、と力説したい社会主義国家にとって、カンメラー説はまたとない科学的福音だったのだ。いっぽう、人種ごとの優劣を固定的に捉えるナチズムは、彼の説を忌み嫌ったという。進化論や遺伝学は20世紀の政治史と表裏一体の関係にあったのである。
ハンガリーに生まれ、ハプスブルク文化の薫陶を受けて育ったケストラー自身、同じ潮流のなかで自己形成を遂げた、おそらく最後の世代に位置している。『サンバガエルの謎』は、ケストラーが自らの出自であるウィーンとその文化に捧げたオマージュでもあったのだろう。
三十年前に読んだときは、愚かすぎて、そんなことにはまるで思い到らなかった。再読して、まことに得るところが多い一冊だった。手許には未読のケストラーがまだ何冊かあるので、いずれ読み進めてみたい。