(承前)
ケストラーの『サンバガエルの謎』は、とても科学者の評伝の書き出しとは思えない、センセーショナルな一文から始まる。
一九二六年九月二三日昼過ぎ、オーストリアの山道で道路工夫が、黒い背広の身なりのよい紳士の死体を見つけた。死体は垂直な岩面に背をもたせかけてすわり、右手には、自らの頭を撃ち抜いたピストルを握っていた。「私の死体を発見された方へ」と表書きされた懐中の手紙には、次のように記されていた。
「私、パウル・カンメラー博士の遺体は、家族の眼に触れぬよう、自宅には運ばないでいただきたい。おそらく最も簡単でかつ安上がりなのは、どこかの大学の研究所で解剖に利用していただくことであろう。科学に対して、少なくともこの程度のささやかな貢献をしたいと思う。[…]」
今日のタイトルに掲げたのは本書の原題である。さながらシャーロック・ホームズ物の一篇でもあるかのよう。推理小説と勘違いして手に取る読者も少なくなかったのではないか。
カンメラーは何通もの遺書を遺していたので、それが自殺であることは疑いないのだが、原因はさっぱりわからなかった。カンメラーのもとにはソ連の科学アカデミーから招聘状がもたらされており、自殺直前の彼はモスクワ赴任の準備で忙殺されていた。高名なパヴロフ教授の配慮のもと、カンメラーのために然るべき研究環境と名誉ある地位が約束されていたのである。
なるほどカンメラーの実験標本に重大な疑惑が生じていたのは事実だが、生前の彼はそれについて一切弁明していないし、そもそも彼自身が標本の偽装に加担していたか否かも不明である。自殺の原因についても、女性問題のもつれから、という線も有力である。
ケストラーはこのスキャンダラスな自殺から物語をスタートし、映画さながらの倒叙法を駆使しながら、カンメラーの生い立ちへ、ラマルク学説とダーウィン学説の確執の歴史へ、カンメラーの実験が学界に巻き起こした波紋へ、とじわじわ説きおこしていき、終章「悲劇的な死の謎」で再びその自殺の謎に立ち返る。もちろん、その謎は容易に解けることはないのだが。
(明日につづく)