今朝は早起きして近くの小学校で投票を済ます。
そのあと家人は早々と外出。行き先は南千住の老舗の鰻屋だという。何もこんな混み合う季節にわざわざ鰻を食べに行かずともいいのではないのか。
というわけで夕方までひとりで留守番。プーランクの『人間の声』のありったけのCDを聴き較べながら、寝転んで気ままに読書。近所の図書館で借りてきた本のなかから、出色の一冊を紹介しよう。
アーサー・ケストラー著、石田敏子訳
『サンバガエルの謎 獲得形質は遺伝するか』
岩波現代文庫、2002
この本は昔、同じ訳でサイマル出版会から出た版(1975)で読んだ。その訳本もどこかにあるはずだが、岩波から再刊されたのは知らなかった。
科学者の評伝を書かせたらアーサー・ケストラーの右に出る者はいないのではないか。綿密な調査と大胆な仮説、推理小説顔負けのゾクゾクする展開で一気に読ませる。小生は『ヨハネス・ケプラー』(河出書房新社、1971)と『コペルニクス』(すぐ書房、1973)ですっかりケストラーの虜になった。いにしえの天文学者をこれほど生身の人間として実感させる筆力は並ではないし、「天才は現に自分がなしつつある革命に無自覚である」とするテーゼにも魅力を感じた。
『サンバガエルの謎』は小生が読んだ三冊目のケストラー。ワクワクしながら通読した記憶が残っているが、細部はすっかり忘れていたので、再読もまた刺激的。
科学史上の巨人を扱った二著(実はどちらも『夢遊病者たち The Sleepwalkers』1959 という大著の一章)と異なり、本書の主人公は今やすっかり忘れ去られたオーストリアの生物学者パウル・カンメラー(1880-1926)。さまざまな動物を使った実験を繰り返し、獲得形質は遺伝する(生前に手に入れた後天的な特徴や資質が次代に受け継がれるという、ダーウィン=メンデル流の進化論・遺伝学に対立する考え方)と主張した。
標題のサンバガエルとはすなわち産婆蛙。この蛙を数世代にわたって水中で交尾させると、掌に突起上の「婚姻瘤」が出現し、これが獲得形質として遺伝する、というのがカンメラーの主張。これが当時の学界の主流たるダーウィン派の巨頭ベイツソンらの逆鱗に触れ、集中砲火を浴びる。自らの実験技術の卓越に自信を抱いていたカンメラーは少しも動じなかったが、彼の実験は追試が技術的にきわめて困難で、その結果には賛否両派とも決定的な証拠が挙げられなかった。
そこに来て露呈したのが、カンメラーの標本偽装の疑い。彼の実験結果に懐疑的な研究者が保存されていた産婆蛙の標本を調査すると、肝腎の婚姻瘤とされる部位から墨による人為的な着色が認められた、というのである。自説の根幹を揺るがしかねないこの問題に、カンメラーはどう対処したのか。
(明日につづく)