アラ・ローゼンフェルド女史の編著『ロシア・グラフィック・アーツを定義する Defining Russian Graphic Arts』(1999)には、「ディアギレフからスターリンまで」と少々あざといほど印象的な副題が付されていた。その顰みに倣うなら、東京都庭園美術館で今日行われた彼女の講演「ロシア舞台芸術の世界」は、さしずめ「マーモントフからメイエルホリドまで」とでも総括できようか。
富裕な実業家サッヴァ・マーモントフがモスクワ近郊に私営劇場を建て、気鋭の美術家たちを起用して舞台美術に新風を吹き込んだ1885年に始まり、アヴァンギャルド演劇の巨峰メイエルホリドが逮捕された1939年までの半世紀は、演劇史上ちょっと例のない、目も眩むような革新と発見と驚異の連続だった。ローゼンフェルド女史は八十枚のスライドを駆使して、それをわずか一時間半(通訳の時間を除けば四十五分)で手際よく通観してみせた。
そこにはディアギレフもベヌアもバクストもモロゾフもシチューキンもゴンチャローワもマレーヴィチもタトリンもロトチェンコもフィローノフもバリーエフも登場し、舞台美術との連関からそれぞれの役割が明確に位置づけられた。まことに簡にして要を得た講演会であり、裨益するところが大きい。
この話を拝聴してから展覧会を見直せば、それまで見過ごしていたあれこれの衣装デザインが、プログラム冊子が、然るべき歴史的意味をもって迫ってくること必定である。少々意地悪い言い方をするなら、彼女の解説抜きではわかり得ない細部が本展にはあまりにも多すぎるということにもなろう。会場に説明パネルばかり並ぶのもどうかと思うが、これだけ百花繚乱の半世紀を扱うのだから、懇切な解説が不可欠だったのではないか。例えば要所要所に舞台写真を配するなどの工夫がぜひとも必要だったのではなかろうか。
いったいに、今回の展示には「これだけはわかってほしい」「歴史の成り行きはこうだ」という明確なポリシーが希薄だったと思う。出品内容もいささか玉石混淆で、選定基準も曖昧、というか、ツメの甘さが否めない。
講演後、ちょっとだけローゼンフェルド女史と話す。たまたま栃木県立美術館の木村理恵子さんがいらしたので、彼女が発案・企画し、小生もお手伝いした『ダンス!』展(2002年)カタログを進呈した。近代日本で西洋舞踊がどのように受容されたかを検証する内容なので、必ずや女史の興味を惹くと考えたのだ。案の定、長谷川潔や杉浦非水が大正初年に描いたバレエ・リュス画像に目を丸くされていた。来年、米国でロシア絵本の大きな展覧会がある、との情報もいただく。ああ、行けたらいいなあ。「そのときぜひニューヨークにもいらっしゃい」とありがたい言葉をいただく。本当に、ああ、行けたらいいのだが。
そのあと、栃木の木村さんに誘われて恵比寿の写真美術館の展覧会を観たあと、近くのカフェでビールを呑みながら四方山話。どうも当方が一方的にしゃべりまくったようで深く反省した。
そんなわけで帰宅は九時半。十四夜の月が煌々と照り映えていた。いやはや暑い一日だった。