CD Discography of "
La voix humaine" by Cocteau-Poulenc
フランシス・プーランクのモノ・オペラ『人間の声』(1959)は、ソプラノ歌手が一度は挑んでみたくなる危険な賭けである。
密やかな囁きから、感きわまった大絶叫まで、ありとあらゆる声を駆使しながら、受話器に向かって休みなしに四十分もの間ひたすら独唱する。ただし、大袈裟な演技は禁物。繊細さと節度が何よりも大切なのだ。台本作者ジャン・コクトーが書き遺しているように、「たったひとり血を流しているような」、痛切な人間像の表出こそが求められるのである。初演者ドニーズ・デュヴァルの歌唱を凌ぐディスクが未だに出現しない所以であろう。
このオペラの至難さをおそらく誰よりも知るジェシー・ノーマンは、ついにレコーディングしないまま、今日に到っている。
1.
La Voix humaine
Denise Duval
Georges Prêtre (cond.)
Orchestre du Théâtre National de l'Opéra-Comique
February(?) 1959, Paris
EMI Pathé Marconi CDM 7 69696 2 (1988)
EMI France 5 65156 2 (1988)*1959年2月6日、パリのオペラ=コミック座での世界初演直後に、同じメンバーで行われた初録音。当初は版権をもつイタリアのリコルディ社の Ricordi レーベルから発売され、のち EMI に譲渡された音源。創唱者ドニーズ・デュヴァルの気取りや気負いのない、しかも崇高ですらある歌唱は、未だに凌駕されていない。
2.
Человеческий голос/Chelovecheskii golos (in Russian)
Nadezhda Yureneva
Gennadi Rozhdestvensky (cond.)
USSR Radio and Televison Symphony Orchestra
1965, Moskva
Vista Vera VVCD 00116 (2006)*驚いたことに、初演メンバーに続く世界第二の録音はロシアでなされた。1965年、モスクワでソ連初演を敢行したユレーネワ&ロジェストヴェンスキーの実況録音が残されていた。歌唱はロシア語だが、不思議に違和感はなく、瞬発力と表出性に富んだユニークな「声」が聴ける。
3.
La Voce umana (in Italian)
Magda Olivero
Nicola Rescigno (cond.)
Orchestra del Teatro La Fenice
3 May 1970, Teatro La Fenice, Venezia
Mondo Musica MFOH 10607 (1999)*イタリアの名歌手マグダ・オリヴェーロによるイタリア語の「声」。ラ・フェニーチェ劇場での実況録音だが、マイクが歌唱を充分捉えておらず、細かいところまではわからない。レッシーニョの指揮は明晰かつ雄弁。
4.
La Voix humaine
Magda Olivero
Nicola Rescigno (cond.)
Orchestra of Dallas Opera
28 November 1970, Dallas Opera
Music & Arts CD 671 (1991)*同じくマグダ・オリヴェーロによる「声」だが、こちらはフランス語版。ダラス歌劇場での実況。ラ・フェニーチェ実況よりはよく声が聴こえ、熱唱ぶりがうかがえる。レッシーニョの指揮はここでも手堅い。
5.
声 (in Japanese)
伊藤京子 Kyoko Ito
若杉弘 Hiroshi Wakasugi (cond.)
東京フィルハーモニー交響楽団
29 November 1971, NHK Studio(?), Tokyo
ビクターエンタテインメント VICC 60257/9 (2001)*1970年5月、東京室内歌劇場公演で若杉弘の日本語訳による「声」(ピアノ伴奏=若杉)を創唱した伊藤京子が、翌年NHKの「芸術劇場」でオーケストラ伴奏により歌ったステレオ録音が奇蹟的に残っていた。美しい日本語の発声、まるで日本のオペラであるかのような、きめ細やかな表現に心うたれる。(日付データは放映日か)
6.
La Voix humaine
Jane Rhodes
Jean-Pierre Marty (cond.)
Orchestre National de France
25 October 1976, Studio 104 de Radio France, Paris
INA mémoire vive 262019 (1994)*「オペラ座のブリジット・バルドー」の異名をとったフランスの名花ジャーヌ・ロードの「声」。オペラティックな起伏に事欠かない劇的な歌唱だ。放送用のスタジオ・ライヴながら、演奏の完成度は高い。終演後の盛大な拍手喝采も納得できよう。
7.
La Voix humaine
Carole Farley
José Serebrier (cond.)
Adelaide Symphony Orchestra
September 1981, the Studios of ABC, Adelaide
Chandos CHAN 8331 (1985)*器用な米国のソプラノ、キャロル・ファーリーが挑んだフランス語版「声」。明らかにネイティヴでない発音にいささか興醒め。豪州のオーケストラの力量にも限界があるようだ。指揮者セレブリエールはファーリーの夫君。TV収録も行われ、かつてLDが発売されたと記憶する。
8.
La Voix humaine
Julia Migenes
Georges Prêtre (cond.)
Orchestre National de France
February 1990, Radio France, Paris
Erato 2292-45651-2 (1991)
Erato 3984-25598-2 (1998)*Erato とラディオ・フランスの共同製作。35ミリ・フィルム版も同時に作られた。映画『カルメン』のジュリア・ミゲネス人気にあやかった企画だろうが、ミスキャストの気配が濃厚。初演の指揮者プレートルはさすがに堂に入った指揮ぶりだが、それすら却って空しい。この盤は「無かったことにしよう」。
9.
La Voix humaine
Françoise Pollet
Jean-Claude Casadesus (cond.)
Orchestre National de Lille
April 1993, Palais de la Musique, Lille
Harmonia Mundi France 901474 (1993)*フランスきってのワーグナー歌いフランソワーズ・ポレゆえ、大仰な歌いっぷりではないかと懼れていたが杞憂だった。誇張を排し、細部まで目配りした繊細な歌唱に感心した。カサドシュ率いるリールの地方オケも健闘。
10.
声 (in Japanese)
堀江眞知子 Machiko Horie
秋山和慶 Kazuyoshi Akiyama (cond.)
東京交響楽団
12 & 13 April 1993, Studio No.1 of Avaco Creative Studio, Tokyo
日本コロムビア(製作) GES 10269 (1993)*ディスク化を前提とした日本人初の「声」、しかも日本語版での録音だ。用いられたのは伊藤京子が歌ったのと同じ若杉弘の訳。たいそう丁寧に歌われ、言葉の隅々にまで感情の襞が息づいている。秋山和慶の指揮もそれに匹敵する細やかさ。堀江自らが自主製作したCDゆえ入手が難しいが、これは必携盤である。
11.
La Voix humaine 人間の声
太田朋子 Tomoko Ohta
藤原直子 Naoko Fujiwara (Pf)
August, 1999, Yokohama
MUSICanari CANA 3010 (1999)*今のところ、CDで聴けるピアノ伴奏による唯一の盤。フランス語の歌唱。偶然に中古で見つけたのだが、おそらく私家盤だろう。この人は生で聴いたことはないが、1996年から「声」をパリ、東京、名古屋で何度も歌っている由。そのわりには細部の彫琢が今ひとつかも。「モンテカルロの女」「メタモルフォーズ」「ルイーズ・ラランヌの三つの詩」「バナリテ」も併録され、一夜のリサイタル仕立てが楽しいアルバム。
12.
La Voix humaine
Felicity Lott
Armin Jordan (cond.)
Orchestre de la Suisse Romande
2 & 3 April 2001, Victoria Hall, Genève
Harmonia Mundi France 901759 (2001)*誇張のない丁寧な歌唱に好感がもてるが、肝腎の「彼女のドラマ」が見えてこないのが最大の弱点。面白いのは、続いてモノローグ「モンテカルロの女」が聴ける趣向。「声」では生き残った女が、死に場所を探して南仏へ…と想像しながら聴くのも一興だろう。──と、これは五年前に書いた新譜レヴューの要約である。
13.
La Voix humaine
Denia Mazzola Gavazzeni
Eric Hull (cond.)
Orchestra della Sardegna della Cooperativa "Teatro e/o Musica"
November 2001, Teatro Verdi, Sassari
Kicco Music KC 083 (2002)*寡聞にしてこのイタリア歌手のことは知らない。マスネーの歌劇『ナヴァール女』との二枚組、いずれも同じイタリアの田舎劇場での実況だ。感情移入たっぷりの演奏らしいが、管弦楽に比してヒロインの声があまりに遠く不鮮明(マイクの設置場所のせい?)なので聴くに堪えない。
14.
Die menschliche Stimme (in German)
Barbara Friebel
Christoph Eberle (cond.)
Symphonieorchester Vorarlberg
July & August 2003, Theater am Kornmarkt, Bregenz
VMS 144 (2005)*ドイツ語で歌われた、おそらく史上初のディスク。意外にもこの曲との相性は悪くなく、さながら表現主義オペラでも聴くような思いがする。ブレゲンツ音楽祭の実況シリーズの一枚で、ヤナーチェクの歌曲集『消えた男の日記』との組み合わせも面白い趣向。ぜひご一聴あれ。
15.
La Voix humaine
Caroline Casadesus
Jean-Christophe Rigaud (pf.)
19-21 August 2015, Auditorium du Conservatoire de Brest
Ad Vitam AV 160215 (2016)*カロリーヌ・カサドシュは指揮者ジャン=クロード・カサドシュの愛娘。ジャズとクラシカルを融合させたリサイタルで知られる人というが初めて聴く。仏人歌手による実に二十二年ぶりの録音、しかも「ピアノ伴奏版による世界初録音」を謳う(実際は違うが)。歌唱は可もなく不可もない出来だが、続けて《モンテカルロの女》を歌う趣向はここでも奏功している。
16.
La Voix humaine
Daniele Mazzucato
Marco Scolastra (pf.)
19-21 July 2018, Teatro Clitunno, Trevi
Brilliant 96030 (2019)
*ダニエーレ・マッツカートはイタリア各地の歌劇場で1973年から活躍するヴェテランらしい。近年もトリエステのテアトロ・ヴェルディで《声》を歌った由。既存盤を凌駕する出来映えではないものの、心のこもった好演といえようか。
17.
La Voix humaine
Véronique Gens
Alexandre Bloch (cond.)
Orchestre National de Lille
January 2021, Le Nouveau Siècle, Lille
Alpha 899 (2022)
*フランス歌手によるオーケストラを伴う録音としては、ドニーズ・デュヴァル(1959)、フランソワーズ・ポレ(1983)に次ぐ三つ目のスタジオ録音。ヴェロニク・ジャンスが満を持して臨んだセッションであり、円熟した歌唱表現は申し分ない。
加筆改訂/2016年5月9日、2023年8月3日