昨日、歌舞伎座で『十二夜』を観ながらしきりに思い出したのは、1997年3月に東京室内歌劇場がシアター・コクーンで上演したモンテヴェルディのオペラ『ポッペアの戴冠』のことだ。
あのときは演出の市川右近(市川猿之助のお弟子さんですね)がまるごと歌舞伎の衣装と所作で押し通し、めざましい成果を挙げていた。そうか、バロック・オペラは歌舞伎そのものなんだ、と感嘆したものだ。今回の体験はその延長上にあって、あれをさらに上回るものだなあ。
そういえば歌舞伎座のシステムって、ヨーロッパの歌劇場にそっくりだ。最上階が安価で芝居好きの貧乏人に開放されるのも同じだし、幕間の休憩時間が長く、その間に食事をいただいたり、アイスクリームで涼をとったり、外に出て煙草を吸ったり、と行動パターンがまるで同一になる。
昨日も休憩のたびに正面玄関から表に出て、反り返った唐破風やずらり並ぶ提灯を見上げながらゴールデンバットをふかす。ああ、なんて旨いんだろう。これぞ至福のひとときだ。倫敦や巴里でも同じことをしていたなあ、とちょっと苦笑いする。
終演は三時過ぎ。歌舞伎座からの帰途、観劇の余韻を楽しみながら立ち寄るのは、道路ひとつ渡った歌舞伎専門の古本屋「奥村書店」と決まっている。
シェイクスピアと歌舞伎、という今日のテーマに因んで、明治末の雑誌『歌舞伎』や『演芸画報』をパラパラ眺める。とはいえ、めぼしい号はすでに架蔵しているので、何も買わずに出ようとしたら、壁にピンで留めた一群の古写真に思わず目が釘付けになった。
セピア色に色褪せた葉書大の生写真が十一枚。値札の説明には「デニショウン舞踊団、大正14年10月26~30日、帝国劇場」とある。
これはたいそう珍しい。テッド・ショーン&ルース・セント・デニスのカンパニー、所謂デニショーン舞踊団は、20世紀アメリカのモダン・ダンスの源流としてきわめて重要。何しろマーサ・グレアムも、ドリス・ハンフリーも、チャールズ・ワイドマンも、同じこのカンパニーから出てきたのだから。これは帝劇で催された彼らの来日公演の舞台写真なのだという。小さいながら画像は鮮明で、なかにはっきりテッド・ショーンとわかる一枚もある。
小生はどれも初めて目にしたが、店主によれば、このうち三枚はかつてバラで扱ったことがあるそうな。いずれにせよ、滅多に出ない代物なので、少々値が張るが買い購めておく。
個々の写真には演目名はおろか、デニショーンの文字もないので、本当にすべて彼らの舞台なのか少々疑念が残るのだが、ここは店主の眼を信頼しておく。
もっとも値札にある「大正14年10月云々」の記載はちょっとおかしい。デニショーン舞踊団の東京公演は大正14年9月と、彼らがアジア巡業の帰路、再来日した翌15年10月の二度あるので、そのどちらかに決まっているからだ。いずれ時間をかけて、写真に写っている演目を同定してみよう。手許に当時の帝劇のプログラムもあるので、それは可能なはずだ。
そんなことをつらつら考えていたら、もう夕方だ。慌てて地下鉄で秋葉原へと向かい、厄介な用事を済ませたあと帰宅。さすがにへとへとに草臥れたが、まずは長く充実した一日だった。