『ロング・グッドバイ』といっても、先般あちこちで取り沙汰された村上春樹の新訳のことではない。勿論それも買ったし読んだのだが、今日ここで話題にしたいのは、ほかならぬロバート・アルトマン監督の映画版のことである。
この映画を初めて観たのは1975年、例に拠って文芸坐でのオールナイト興行だった。アルトマン四本立。今となっては信じがたいようなラインナップだ。
『M★A★S★H(マッシュ)』(1970)
『ギャンブラー』(1971)
『ロング・グッドバイ』(1973)
『ボウイ&キーチ』(1974)
どうです、凄いでしょ、これらを立て続けに観る。
記憶を頼りに書いているので、上映順は違っているかもしれないが、四本の内訳は間違いない。なんといっても、当時はまだ『ナッシュビル』(1975)も『ビッグ・アメリカン』(1976)も『三人の女』(1977)も『ウェディング』(1978)も出現していないのだから、これはその時点での「アルトマンのすべて」と呼び得る陣容だった。文芸坐、あんたはエライ!
残念だったのは、当日になって配給会社の都合とかで『マッシュ』のプリントが借りられなかったこと(再公開の予定があり配給停止)。そのため、やむなくジョン・ミリアス監督の『デリンジャー』に差しかえられたため、画竜点睛を欠く結果となったのだが、それでもこれがオールナイト史に残る名プログラムたることは疑いない。
ともあれ、このとき小生は初めてアルトマンの魅力を知った。いや、「知った」なんてもんじゃない、痺れ、眩惑され、酔いしれたのだ。
その後、『ギャンブラー』と『ボウイ&キーチ』にはスクリーンでは二度とお目にかかっていない。その意味でもこの晩は一期一会、千載一遇の機会だったのだが、なんといっても『ロング・グッドバイ』の印象が強い。それはもう衝撃的だったのだ。とりわけ、チャンドラーの原作とはまるで異なるそのラストが。
フィリップ・マーロウをエリオット・グールドが演じる。それだけで世のチャンドラー好きを怒らせるに充分だ。「なんだ、あのだらしない風体は! マーロウはあんなぐうたら男じゃないぞ」というわけだ。しかも舞台は現代(つまり1970年代初頭)のロサンジェルスへと移され、神話的な輝きもノスタルジックな味わいも皆無。
開巻一番、夜中の三時に飼い猫に起こされたマーロウは、腹が減ったと騒ぐ猫に促されて、やむなく愛車を駆って近くのスーパーまでキャットフードを買いに走る。ところが、マーロウの買ってきた缶詰がお好みの銘柄じゃないと知った猫は、せっかくのキャットフードに見向きもしない。おいらの好みじゃない、というのである。
それと並行して、友人のテリー・レノックスが訪れて、マーロウに頼みごとをする、という本筋も描かれるのだが、この冒頭の猫のくだりはもちろん原作(むしろ聖典というべきか)にはないものだから、小生の周囲でも怒っている人がいた。フィリップ・マーロウに猫餌を買いに行かせるなんて言語道断、もってのほかというわけだ。
その少しあとで、ロバート・ミッチャムをマーロウに仕立てた『さらば愛しき女よ』(ディック・リチャーズ監督、1975)が封切られ、世のチャンドラー好きの多くはこちらのフィルムのほうを原典に忠実だとして推した。そうなると、われわれ(というのは当時しょっちゅう会っていた仲間たち)はもう躍起になって、「そうじゃない、アルトマンの描くマーロウのほうが真実なんだ、これこそが現代のハードボイルドのありようなんだ」と擁護したものだ。どっちのマーロウを選ぶかで、本当の映画好きかどうかがわかる、これは試金石なんだ、とも。
浴びるほど映画を見ていた友人のひとり、ミヤザキ君がこの映画を評した言葉をいまだに忘れない。「あの猫のシーンがいいんですよね。あれでマーロウの本当の優しさがわかる。優しくて純粋で物静かで、ノンシャランだけど筋だけはキチンと通す。でもね、沼辺さん、あの真っ直ぐなエリオット・グールドを裏切っちゃいけない。裏切って怒らせたら最後、もう殺されても仕方がない」。
先日、ついに意を決して『ロング・グッドバイ』のDVDを買ってしまった。観直すなら絶対にスクリーンで、と頑なに心に誓っていたのだが、千円ちょっとという価格に負けてしまった。
最後に観たのは1994年11月(シネマ・カリテ2)だから、もうずいぶんになるが、さすがに細部まで記憶していたとおり。キャスティングの妙にアルトマンの「人を見る眼」の確かさがみてとれる。倣岸な初老の作家役のスターリング・ヘイドンは圧巻だし、その妻でマーロウの依頼人たるニーナ・ヴァン・パラントの妖婦ぶりがいい。主人公を脅すヤクザの親玉を演じたのは、なんと映画監督のマーク・ライデル。小悪党ぶりが様になっている。などなど。
撮影監督ヴィルモス・ジグモンドの撮った奇蹟のような映像を、わが家のちっちゃなモニターで再生するのはほとんど犯罪的行為なのだが、それでも夜の場面の眩惑的な深さ、マリブの海浜シーンの嘘のような輝きに改めて舌を巻く。
死ぬ前に、もう一度でいいからこの映画を大スクリーンで観たい。ついでに、『ギャンブラー』の忘れがたい雪のラスト・シーンも…。
今日はここまで。後日もう少し続きを書きます。