最後にご紹介する盤は今回の五枚中でも飛び抜けた名演である。愛好家の間ではそれなりに知られた演奏なのかも知れないが、小生は寡聞にして初めて聴いた。そしてその余りの素晴らしさに腰を抜かすほど吃驚した次第だ。発売は1990年だから、もう新品では手に入らぬかもしれない。
リヒャルト・シュトラウス: 交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』
フランツ・シューベルト: 交響曲 第8番(あるいは第7、第9番) ハ長調
ヨーゼフ・クリップス指揮 ウィーン交響楽団
(1972年8月8日、ブレゲンツ音楽祭実況)
Orfeo C 234 901 A
正直に告白するが、この二曲はどちらも大の苦手だ。表面的な描写が喧しい前者はともかく、後者の「大交響曲」は一般的には名曲中の名曲。だが、どうにも好きになれない。どの楽章の主題も卑俗としか思えないし、それがいつ果てるとも知れず延々と変形され繰り返されて、「いい加減にしてくれ!」と耳を塞ぎたくなる。同じシューベルトなら「未完成」や第五交響曲なら愛せるのだが…。
それでもこのCDを手に取ったのはひとえに380円という安さゆえ。それに加えて、指揮者ヨーゼフ・クリップスにはアムステルダムのコンセルトヘバウ管弦楽団を振ったモーツァルトの交響曲選集(フィリップス)があって、それらがどれも驚くべき名演だった記憶が鮮明にあったからだ。ひょっとしてこれも、という予感がしたのである。
その予感はものの見事に的中した。これはもう、なんというか、言語を絶する超名演だったのだ。
こういうとき、吉田秀和ならざるわが語彙の貧困を恨みたくなる。このシューベルトの素晴らしさをどう表現したらよいものか。さらりとなんの企みもない自然体の演奏なのに、かつて味わったことのない高貴な気品に満ち溢れている。隅々までどんな細部にも意味深いニュアンスが篭められていて、「シューベルトはなんと美しく気高い音楽を書いたのだろう」と驚嘆させられる。シューベルト嫌いの小生にそう言わせるのだから、クリップスの力量のほどが察しられよう。
ヨーゼフ・クリップス Josef Krips(1902‐1974)は実力の割りに不遇な指揮者だった。
生粋のウィーンっ子としてウィーンのフォルクスオーパーの練習指揮者を振り出しに順調なキャリアを歩みだし、1933年ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)の指揮者のポストを得るが、1938年ナチス侵攻とともに表舞台から姿を消す(裏方として歌手の個人指導に当たったという)。終戦とともにシュターツオーパーの再建に努め、焼け残ったアン・デア・ウィーン劇場での記念すべき戦後初の公演『フィデリオ』を振った。彼は特にモーツァルトのオペラに秀でており、その芸風は『後宮からの誘拐』などいくつかの全曲レコードで偲ぶことができる。
戦後の彼はパッとしなかった。ウィーン国立歌劇場の歴代の芸術監督たるベームもカラヤンも彼にさしたる仕事を与えようとせず、その後のクリップスはロンドン交響楽団の首席指揮者を経て、バッファロー、サン・フランシスコといった田舎楽団の指揮者に地位に甘んじねばならなかった。
ようやく1960年代後半、ウィーン交響楽団との結びつきが深まり、たびたび客演を重ねている。その相互信頼のうえにこの名演は成立したのだろう。
いかにも野暮ったい田舎紳士風の容姿のせいもあってスター性ゼロ、生前も歿後もさしたる話題に乏しかったクリップスだが、こうして遺されたライヴに耳を傾けてみれば、その音楽性の卓越は誰の耳にも明らか。本盤は亡くなる四年前、アムステルダムで録音した一連のモーツァルトと同時期の、まさしく円熟しきった演奏である。今後、もし彼の晩年のライヴ演奏が出現したら、迷わずゲットしよう。
今日改めてこの二曲を聴き返してみて、上に開陳した感想は少しも変わらなかった。いつもウィーン・フィルの後塵を拝してばかりいるウィーン交響楽団のアンサンブルの秀逸さ、ソロイストたちの名技にも聞き惚れた。この時代、チェロのトップにはもうニコラウス・アルノンクールは居なかったのだろうか。