(承前)
映画版『マイ・フェア・レディ』を小生が初めて観たのは1970年のリヴァイヴァル公開時のことだった。遅まきながら彼女のファンになった田舎の高校生は浦和の映画館で観たのだと記憶する。念のため当時のメモを確認したら、6月13日(土)、「浦和オリンピア」にて二本立で観ていた。併映はなんと!『ジョンとメリー』だった!
ここでこの映画の主なスタッフ、キャストを記しておこう。
マイ・フェア・レディ My Fair Lady(1964、ワーナー・ブラザーズ配給)
監督/ジョージ・キューカー
原作/ジョージ・バーナード・ショー(戯曲『ピグメイリオン』)
脚本・作詞/アラン・ジェイ・ラーナー
作曲/フレデリック・ロウ
編曲/アンドレ・プレヴィン
美術/ジーン・アレン
衣装/セシル・ビートン
振付/ハーミズ・パン
撮影/ハリー・ストラドリング
製作/ジャック・L・ワーナー
* * *
イライザ・ドゥーリトル/オードリー・ヘップバーン
ヘンリー・ヒギンズ/レックス・ハリソン
ピカリング大佐/ウィルドリッド・ハイド=ホワイト
アルフレッド・ドゥーリトル/スタンリー・ホロウェイ
フレディ/ジェレミー・ブレット
よく知られているように、1956年3月15日、ブロードウェイで初日を迎えた「マイ・フェア・レディ」のイライザを歌ったのは、芳紀二十歳、無名同然の英国女性ジュリー・アンドルーズ(アンドリュース)だった。このミュージカルの空前の大ヒット、ロングランにより、彼女は一躍スターダムにのし上がる。
相手役のヒギンズ教授役はレックス・ハリソン。イライザの父、アルフレッド・ドゥーリトル役はスタンリー・ホロウェイ。どちらも英国が誇るヴェテラン俳優である。ロンドンが舞台となった物語にふさわしく、主要なキャストは英国勢が占めていた。ちなみに二年後のロンドン初演の舞台でも主な配役はほぼ同一。これは徹頭徹尾ブリティッシュ・アクセントで歌われ、演じられたブロードウェイ・ミュージカルなのである。
その映画化にあたって、製作元のワーナー・ブラザーズは原作ミュージカルの方針をそれなりに尊重した。音楽も歌詞も台詞もほぼそのまま引き継いだし、ヒギンズ役のレックス・ハリソン、父ドゥーリトルのスタンリー・ホロウェイも、舞台版とおんなじだ。衣装デザインのセシル・ビートンも変わらない。ところが肝腎のイライザに関しては、ジュリー・アンドルーズは選に洩れた。いくらブロードウェイで絶賛されたからといって、銀幕では未知数の新人なのだから、ワーナー側がその起用に二の足を踏んだのは、まあ当然の成り行きだろう。
代わってイライザ役を手にしたのが人気絶頂のオードリー・ヘップバーン。この役柄にはいささかトウが立ってはいるが、イメージ的には悪くない。とはいえ、彼女は歌が不得手である。その歌唱力はフレッド・アステアと共演した『パリの恋人』ですでに実証(?)済。ほぼすべてのナンバーを別人の歌唱で吹き替えねばならない。
もっとも、ミュージカル映画であっても平気で「歌えない美女」を起用してしまうのがハリウッドのやり口。『王様と私』のデボラ・カーも、『ウエストサイド物語』のナタリー・ウッドも、歌の部分はことごとく吹き替えなのである。
キャスティングから外されたジュリー・アンドルーズの胸中は察するに余りある。主要キャスト三人のうち自分だけ選ばれなかったのだから、怒り心頭に発したに相違ない。どうして私じゃ駄目なの? あの華奢な音痴の女優に果たしてイライザが演じられるかしら?
(明日につづく)