東京への往還、車中で読む本がないと、いかにも手持ち無沙汰。
そこで昨日も帰り道に東京駅構内の本屋で手頃な新刊書を物色。
実は先日BSの「週刊ブックレビュー」でご本人が出演して紹介された瀬戸内寂聴の『秘花』(世阿弥の晩年を描く)に手を伸ばしかけたのだが、あまりにも目立つ場所に山積みされていて、なんだか気持ちが萎えてしまった。
いろいろ探し回った揚句、文庫と新書をそれぞれ一冊ずつレジに差し出す。
ホイットマン、飯野友幸訳 『おれたちにはアメリカの歌声が聴こえる』 光文社古典新訳文庫、2007
田中克彦 『エスペラント 異端の言語』 岩波新書、2007
いずれも奥付をみたら6月20日に出たばかり、ホカホカの最新刊である。これは面白そうだという予感が強くしたのだ。
今日はこのうち、すでに読了した後者をご紹介しよう。岩波新書を読んで、ぜひ推奨せねばと思ったのはずいぶん久しぶりである。
世界共通語としてのエスペラントについては、古くは岩波新書の青版に伊東三郎の名評伝『エスペラントの父 ザメンホフ』(1950)があり、比較的近年では高杉一郎の『スターリン体験』(1990)、『征きて還りし兵の記憶』(1996)などの自伝的著作でも縷々語られていた。
大正期から昭和初年にかけて日本でもエスペラント運動の隆盛があり、多くのリベラルな国際派知識人の賛同を得ていた。来日した盲目のロシア詩人エロシェンコや、その親友の劇作家・秋田雨雀らも熱心なエスペランティストだった事実は知る人も多いだろう。
本書の著者は伊東、高杉両氏のようなエスペラント運動の実践者ではなく、純然たる言語学者としての視点から、この人工的に考案された言語のありようを冷静に論じていく。思い入れを排したクールな語り口は、これまでの類書とは異なり、読み始めてしばらくは違和感を覚えたのは事実である。
本書の著者はきわめて公平な立場から、19世紀末から20世紀初頭にかけて相前後して案出された他の「国際人工語」をエスペラントと比較し、エスペラントが最も合理的な体系をもち、習得が容易であると断ずる。同時に、より使い易いよう改善案が出されたとき、エスペラント主義者たちがこれを「分派活動」として厳しく指弾したことを挙げ、運動としての閉鎖的な党派性を指摘するのを忘れてはいない。
エスペラントはたしかに学び易い言語のようだ。面倒な格変化もなく、動詞の活用もきわめて規則的。しかもあらゆる名詞は-oで終わり、形容詞は-aで終わる。
alta monto(高い‐山) blanka lilio(白い‐百合) blua maro(青い‐海)
反対語も mal をかぶせて造る。granda(大きい)に対して malgranda(小さい)、simpla(単純な)に対して malsimpla(複雑な)といった具合である。
最も驚いたのはエスペラントに帰依した意外な日本人たちの顔ぶれだ。
二葉亭四迷、堺利彦、大杉栄、新渡戸稲造、山田耕作、新村出、柳田国男…。驚いたのは新興宗教の大本教が積極的にエスペラントを布教に活用したという事実。
宮沢賢治も時代の潮流のなかでエスペラントに心を寄せ、自修を試みたひとり。
吃驚したことに、彼が自作の舞台として名づけた「イーハトーヴォ」は、ほぼ確実にエスペラント語なのだという。
この語の前半の音は間違いなく岩手(いはて)から来ているが、エスペラント語では Ihate でなく Ihato となる(地名は名詞扱いなのだ)。後半の「オーヴォ」はovo すなわちエスペラント語の「卵」なのだという。賢治は「岩手の卵」という地名を創出したのだという(これは佐藤竜一という賢治研究家が唱えた説なのだそうだ)。
この本の締め括りに、かつてエスペラントを自修したという著者は、ぜひこの言語を学んでみるといい、と読者を強く誘い、「梨のうまさは食べてみなければわからない」という毛沢東の有名な警句で結んでいる。
どうですか、試しにちょっとやってみませんか。