(承前)
クリス・ファン・オッテルローと出逢ったとき、父ウィレムの事故死からすでに十五年の歳月が流れていた。往年の名指揮者の存在はもはや人々の記憶からすっかり遠のいていた。小生がマエストロの生演奏をたった一度だが聴いたことがあり、その音楽を高く買っていると知って、クリスはたいそう喜んだものだ。
小生はといえば、中古レコード屋巡りは日課であり、ウィレムの古いLPを捜し出すのは、クリスのためというばかりでなく、自分自身の愉しみでもあった。日々のハンティングの励みにもなった。さすがにオランダ・フィリップス盤はなかなか見つからなかったが、同内容のアメリカ Epic 盤だったら安価で発掘できたのである。
クリスが来日するたびごとに、ウィレム・ファン・オッテルロー指揮のLPを五枚、十枚と手渡した。マーラーの第四交響曲、ベルリオーズの「幻想」の新旧二種、フランクの交響曲や「プシュケ」、サン=サーンスの第三交響曲…。最終的には総計三十枚ほどになったろうか。今となってみると、かなり貴重な音源も含まれていた。クリスの嬉しそうな表情を見るのが楽しみでもあった。
最後にクリスに会ってから、かれこれ七、八年になるだろうか。オランダを訪れて、運河のほとりで一緒にビールを呑むという約束も果たせていない。
2005年になって、往時のウィレム・ファン・オッテルローの指揮芸術を集大成した十三枚組CDが出た。
"Willem van Otterloo: Residentie Orkest--The Original Recordings 1950-1960" という、まさしく夢のようなボックス・セットである(Challenge Records CC 72142)。詳しい内容については
ここをご覧いただきたい。小生がクリスのために見つけ出した音源も、あらかたここに再録されている。
不当にも永く軽視され忘れられていた「燻し銀の巨匠」がついに21世紀の現代に甦った。入荷したその日に抱えて帰って、嬉しさのあまり、寝る間も惜しんで二日間ぶっ通しで聴き続けたものだ。
クリスはこれを聴いただろうか。勿論そうに決まっている。附録のブックレットの「謝辞」には、ちゃんと彼の名が明記されているから間違いない。さぞかし嬉しがったことだろう。
いつの日か再会することがあったなら、甲斐庄楠音との出会いについて、詳しく話を聴きたい。そしてもちろん、かけがえのない父上の貴重な想い出についても。
今年はウィレム・ファン・オッテルローが生まれてちょうど百年目なのである。