(承前)
クリス・ファン・オッテルローが亡き父上を今も心から敬愛しているらしいことは、その口ぶりからありありと窺うことができた。
実はウィレム・ファン・オッテルローはクリスの母上と離婚していた。だが、その後も息子に注ぐ愛情はいささかも変わることがなかったらしい。
読売日本交響楽団の招きでたびたび訪日したマエストロは、すっかり日本贔屓になってしまった。クリスが初めて日本を訪れたのも、公演を控えた父に伴われてのことだったという。芸術家志望のクリスは日本の伝統美術に魅せられ、京都の美大に入学して木版画を専攻する。
京都で学生生活を送っていたクリス青年に、全く予期せぬ出逢いがもたらされる。
1977年のこと、たまたま訪れた寺町通の小さな画廊で、彼はひとりの年老いた日本画家の個展に出くわす。そこで彼が目にしたのは、花鳥風月を優美に描く日本画とはおよそかけ離れた異様な世界だった。何かに取り憑かれたかのような、物狂おしい女性の姿。その妖艶凄絶な美に、クリスは一気に惹き込まれた。そして、乏しい財布のなかから工面して、小品を二点購入した。
その老人の名は甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)といった。戦前から活躍しながら、その特異な画風から異端視され、人知れず落魄の晩年を過ごしていた。その彼の生前最後の個展に、クリスは偶然にも遭遇したのである。ほとんど絵が売れたことにない甲斐庄は、自分の絵を気に入ってくれたこの異国の青年に心から感謝したという。彼が84歳で歿するわずか一年前のことだ。
甲斐庄楠音の名は、もっぱら溝口健二の『雨月物語』の美術考証を手掛けた人物としてのみ、映画関係者の間で記憶されていた。その画業が世に知られるようになるのは、彼が世を去って二十年近くを経てからである。クリス・ファン・オッテルローが早くから人並外れた「目利き」だったことは、このエピソードから充分に察しられよう。
クリスは小生が古いLPレコードを収集していると知り、こんなふうに切り出した。
「実は僕の手許には、父の指揮したレコードが一枚もないんです。それが残念でならない。実家にたくさんあったはずのLPはすべて、再婚した相手の女性に独り占めされてしまって…。ヌマベさん、父の出したレコードを僕のために探し出して下さいませんか?」
お易い御用だ、任せてくれ、と小生はその場で請け合った。ウィレム・ファン・オッテルローは今や完全に忘れられ、まるで人気がない。だから、彼のディスクは見つかれば一枚八百円からせいぜい千二百円程度なのだ。根気よく探せば、すぐに十枚や二十枚は集まるはずだ。
(明日につづく)