子供の時分、外国の物語を読んでいて、食べたことはおろか、見たことも聞いたこともない異国の料理や食材のことが気になって仕方なかった。三つ子の魂百までというが、昔から食いしん坊だったということだろう。
生まれて初めて読み通した長編小説は、E・T・A・ホフマンの「胡桃割り人形と鼠の王様」である。小学三年生の頃、童話全集の端本に含まれていた「くるみわりにんぎょうとねずみの王さま」を読んで、想像を絶する奇想天外な筋立てに我を忘れて読み耽った。そのことは昨年のクリスマス・イヴにちょっと書いた(
→ここ)。
物語のなかで胡桃割り人形は「お菓子の国」の王様なのであるから、当然のことながら、夥しい数の見知らぬ洋菓子が登場する。「ヘンゼルとグレーテル」の「お菓子の家」なぞの比じゃない。なにしろ、森羅万象がお菓子でできているのだ。曰く、「こおりざとうのまきば」「こしょうがしの村」「ボンボンの町」「はたんきょうとほしぶどうの門」…。
氷砂糖やボンボンは知っていたが、「こしょうがし」がわからない。胡椒菓子、すなわち香辛料で風味づけしたクッキーの類いなのだろうが、さぞかし辛いだろうな、と考えたものだ。まるきり見当がつかなかったのは「はたんきょう」。これは巴旦杏と書き、つまりアーモンドのことなのだが、そんなこととはつゆ知らず、どんな神秘的な食べ物かと想像を逞しくしたものだ。余談になるが、ずっと後年、はっぴいえんどのアルバムを聴いていたら、歌詞にいきなりこの「巴旦杏」が出てきて吃驚した。さすが松本隆は詩人である。
現今とは異なり、小生が生まれ育った1950年代、欧米の食生活は遠い彼方、夢のまた夢だった。スパゲッティといえば豚カツの付け合わせのケチャップまみれのヌードルしか知らず、ソーセージといえば魚肉、ベーコンは決まって鯨肉だった。TVで毎週アメリカ製アニメ「ポパイ」を観ながら、「ほうれん草の缶詰」が理解できなかったし(実は今でもそうだ)、のんびり屋のウィンピーがいつも食べている分厚いドラ焼のような代物が何か、サッパリわからなかった。
中学生になっても事情は変わらない。二年生のとき、偶然手にした「ナルニア国ものがたり」の第一巻『ライオンと魔女』で、「白い魔女」がエドマンド少年を誘惑するために用いる食べ物は「プリン」と訳されていたが、訳者の瀬田貞二さんは「あとがき」でわざわざこう断り書きをしていた。
なお訳にあたって、なるべく忠実に原作の意図をうつしとるつもりでかかりましたが、[…]なじみのない品物、たとえばターキッシュ・ディライトという菓子などは、ことさらにまったくちがったプリンに移しかえたことがある点は、ことわっておきましょう。この註記がひどく気にかかった。「ターキッシュ・ディライト」とは一体どんなお菓子なのだろう。
魔女が子供をかどわかすのに用い、エドマンドがついその甘言に乗ってしまったくらいだから、これはさぞかし美味しい絶品に違いない。
さすがに中学生とあって、そのときすぐに手許の英和辞典を引いてみた。
Turkish delight (n.) トルコ菓子[一種のあめ]
う~ん、これでは全然わからないではないか。
ターキッシュ・ディライトとは何か。このとき抱いた疑問はずっと長く解けないまま20世紀最後の年にまで持ち越された。
例に拠って六月をロンドンで過ごした折り、オックスフォード・ストリートの百貨店で土産用の紅茶を物色していて、ふと思い立って隣りの菓子売場でターキッシュ・ディライトを探してみた。
どんな形状をしているかわからず、見付けるのにちょっと手間取ったが、おお、箱に入ってちゃんと棚に鎮座しているではないか! 間違いない、派手なパッケージにたしかに "Turkish Delight" と書いてある。さっそく手に取り、抱きかかえるようにしてレジへ走った。同行の友人も「ナルニア」の読者だったから、小生の度を超した興奮を理解してくれたと思う。
地下鉄のなかで、待ちきれずにパーケージを開けてしまう。行儀が悪いのは承知の上でのこと。ホテルに戻るまで待ちきれなかったのだ。
なかからは白い粉砂糖にまみれたサイコロ状の物体がごろごろ。ゼリーのような、餅のような、柔らかな感触。どぎつい濃紅、緑などの人工的着色にちょっと恐れをなしたが、誘惑に負けてひとつぶ口に運ぶ。
こ、これは、な、なんだ…。
お、おそろしく甘い。ただ甘いばかりで、美味しくもなんともない。ねっとり、にちゃにちゃと歯にまとわりつく感触が気色悪いったらない。
う~む、これが永いこと待ち続けた憧れのお菓子なのか! はるばる倫敦までやってきて、ようやく探し当ててみたら、ああ、百年の恋も一瞬にして色褪せる。何が「トルコの歓び」なものか! これが美味しいと感じるようでは、英国人の舌はやはりどうかしている…。
ところで、小生たちは地下鉄でバービカンへ赴こうとしていた。ローリー・アンダソンの公演があるのだ。それなのに列車は一向に到着しない。
はっと気づいた。われわれは反対方向の列車に乗ってしまったのだ。ひょっとして、これこそ白い魔女の呪いなのだろうか。
慌てて乗り換えてどうにか開演に間に合ったからいいものの、このときの騒動で、ターキッシュ・ディライトの箱をどこかに置き忘れてきたことに気づいた。まだ中味はずいぶん残っていたはずだが、一向に惜しくはなかった。