家から歩いて三分のところに図書館がある。それはありがたいのだが、歴史が浅く蔵書も少ないので利用価値は高くない。昨日ちょっと調べものをしたついでに、何気なくこんな本を借りてみた。
金井美恵子 『重箱のすみ』 講談社、1998
つきあっていた女性に薦められて金井美恵子を読んだのは、あれは1970年代後半だったろうか。彼女の小説はどうにも肌が合わず、もっぱらエッセイ集を愉しんだ記憶がある。これは比較的近年のエッセイを集めた本だし、装丁(姉の金井久美子)が良いので興味をそそられたのだ。
相変わらず、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言い切る歯切れのいい文章は健在だ。
さまざまな雑誌に寄稿した依頼原稿の寄せ集めなので、話題は実にさまざま。無能な批評家への揶揄、文学賞をめぐる諸問題、大岡昇平やジェイン・オースティンを論じた文章、さらにはジャン・ルノワールとゴダール、花にまつわる短文、愛猫トラー礼賛…といささかとりとめないが、どんなテーマを与えられてもすかさず金井美恵子的な視点と切り口で投げ返す手腕はさすがだと思う。
順番に読み進めていって、終わり近くの一篇で、アホイ! と快哉を叫びそうになる。「さらば、スペインの淑女よ」という短文である。書き出しがいきなりこうだ。
何度読みかえしても、その度初めて読むような興奮を覚えずにはいられないのが、アーサー・ランサムの小説である。
ランサムの小説を子供の頃に読んで、ヨット乗りになったり、自然環境保護運動に目ざめた、という人たちの話を知らないでもないのだが、それはそれとして、ランサムを読んだことによって小説を読むことが好きになった子供たちならば、もっと多勢いるはずだろう。
金井美恵子のランサム好きは承知している。昔読んだエッセイ集『添寝の悪夢 午睡の夢』(中央公論社、1976)に熱烈な礼賛文「アーサー・ランサムの世界」があったからだ。彼女は上の引用の少しあとに、「私の個人的な好みから言えば、アーサー・ランサムの本を一冊も読んだことのないヨット乗りやエコロジストより、ヨット乗りでもエコロジストでもないけれどランサムの小説を愛する小説好きと気が合うのだ」と付け加えるのを忘れない。
金井美恵子の真骨頂はこの小エッセイの末尾にある。彼女はランサムの『ツバメ号とアマゾン号』の冒頭の、ロジャ少年が草原を「間切って」駈け抜ける名高い一節をまるごと紹介し、「何度読みかえしても、夏の野原のむかい風と夏休みの空気をからだ一杯に受ける、ここちよい官能の濃密さに心が躍る」と書いたあと、次のような驚くべき言葉で文章を締め括っている。
同じ時代に書かれた小説よりも、むしろ同じ時代に撮られた優れた映画を思いおこさせる程、視覚的喜びに満ちているランサムの小説を読むと、彼と同世代の映画監督たち──ジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコック、フリッツ・ラング、ボリス・バルネット──が、なぜランサムの小説を映画にしなかったのだろう、という気がする。『六人の探偵たち』はヒッチコック、『オオバン・クラブの無法者』はラング、『ツバメ号の伝書バト』はジョン・フォードで、体型は少し違うけれどフリント船長がジョン・ウェインで、つぶれソフトはジェームズ・スチュワート、かわら屋ボブはフランシス・フォードかウォルター・ブキャナン、と実現不可能のキャスティングを、映画プロデューサーになったつもりで決めるのが、眠れない夜の儀式でもあるのだ。
スピルバーグの『ジョーズ』を好きな理由の一つは、この映画の中で「さらば、スペインの淑女よ」が歌われるからで、この古いイギリスの船乗りの歌は、ランサムの小説の子供たちの愛唱歌の一つなのだが、メロディーを耳にしたのは『ジョーズ』が初めての経験だったのである。