銀座の「教文館」九階のウェンライトホールで神宮輝夫さんの講演を聴く。六階の「ナルニア国」で開催中の企画展「海とキャンプと冒険と~アーサー・ランサムの世界」の関連イヴェントである。
神宮輝夫さんと無縁な者はほとんど居るまい。誰しも子供の頃ずいぶん世話になったはずだから。
石井桃子、瀬田貞二と並び称される英国児童文学の練達の翻訳者であり、「ランサム・サガ」の大半を訳されたほか、ウィリアム・メイン、ジョン・ロウ・タウンゼンド、フィリップ・ターナーの諸作、さらにはロイド・アリグザンダーの連作ファンタジーやリチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』など、手掛けた訳書は数え切れない。
とはいうものの、神宮さんといえばやはりランサムだ。二十代で岩波少年文庫のために『ツバメ号とアマゾン号』を訳したのを手始めに、1967年から翌年にかけて「アーサー・ランサム全集」を岩田欣三さんと分担して完訳されたほか、絵本『空とぶ船と世界一のばか』や、『アーサー・ランサムのロシア民話』、大人向けエッセイ集『ロンドンのボヘミアン』、さらにはランサムの自伝や評伝まで邦訳された。氏の翻訳人生はランサムとともにあったといっても過言ではない。
小生にとっては四十年前に「アーサー・ランサム全集」の第一回配本『ツバメ号とアマゾン号』を手にしたとき以来、いつも身近に感じていた存在なのだが、ご本人にお目にかかるのは初めてだ。写真で親しんだとおりの温和な笑顔の紳士、だがすっかり白髪になられた。無理もない、こちらとて初老間近なのだから。
講演は二時から。論題は「アーサー・ランサムと物語世界~幸せな子どもの文学の時代」。最前列で聴く。
神宮氏はまず、青春期のランサムの文学遍歴をざっと紹介し、二十代の著作にはさして重要な成果はないが、20世紀初頭のエドワード朝時代の自由な文化的雰囲気こそがランサムを育てたと指摘し、彼の文学的嗜好はひたすら19世紀以前へと向かい、新時代を切り拓くような進取の気質は皆無だと言い切る。
ランサムは徹頭徹尾19世紀的なナラティヴ(物語)の人であり、「ランサム・サガ」も本来ならば第一次大戦前、すなわちバリーの『ピーターパン』やネズビットの諸作のすぐあとに書かれるべきだったのではないか、という指摘もたいそう刺激的。
実際に「ランサム・サガ」がスタートする1930年代といえば、児童文学に社会主義的な視点(ジャック・リンゼイ『ゴールドフィールドの反乱』1936)や貧困層の子供たち(イーヴ・ガーネット『ふくろ小路一番地』1937)が登場した時代なのに、そうした傾向はランサムには認められない。流行や風潮とはまるで無縁なのだ。しかし、そこにこそランサムの良さがある、と神宮氏は強調された。
ではランサムのオリジナリティとは? それは「子供の描き方」にあるのだ、と神宮氏は断言する。彼の物語のなかの子供たちはとても真面目で、大人の信頼をかちえたうえで、自由に振る舞う。今の自分をよく考えて行動しているのだ。その姿が素晴らしい。こういう例はあとにも先にもないのではないか。「《今》を生きている子供として描けている。だからこそ面白いんです」と氏は話を締め括った。
終了後、神宮さんのサインを求める長い列ができた。小生もそのなかに混じって、持参した単行本『シロクマ号となぞの鳥』(岩波書店、1963年版)の扉頁にサインしていただく。
そのあと五時半過ぎまでアーサー・ランサム・クラブ主宰のお茶会があった。途中から神宮さんも話の輪に加わり、終始にこやかに語らっておられた。
外へ出たら、さっきまでの激しい雨が嘘のような晴天。すがすがしい涼風が銀座通りを吹き過ぎた。