きっかけは知人の誘いだった。西洋音楽好きのくせにほとんど欧米を知らぬ小生を、なかば強引に海外旅行へと連れ出した。1993年12月のことだ。目的地はロンドンとパリなのに、ユナイテッド航空のマイレージを貯めたいという理由から、アメリカ周りで旅立った。
このとき見聞きしたシカゴ、ロンドン、パリの印象は終生忘れられないだろう。それまで外国の都市といえばレニングラード(サンクト・ペテルブルグ)しか知らない小生にとって、すべてが鮮烈な体験だった。シカゴでは古色蒼然たるリリック・オペラで『ワルキューレ』を鑑賞し、倫敦では『ポッペアの戴冠』と『魔笛』と『トスカ』を観た。巴里では憧れのシャンゼリゼ劇場に足を踏み入れ、座席に坐っただけで陶然となった。もちろん、これら三都市の歴史を経た街並の佇まいにも魅了された。
このことがあってから、まるで憑き物が落ちたように海外旅行への抵抗がなくなり、90年代半ばからは毎年のようにロンドンとパリを訪れるようになった。
季節は決まって五月末か六月初旬。毎年この時期に英京で大掛かりな挿絵本の古書フェアがあるからなのだが、行ってみてわかったのは、ちょうどこの季節は爽やかな初夏にあたっており、カラっと晴れた気持ちの良い日々が続く。入梅でじめじめジトジトする日本とは大違いなのだ。
夏至が迫っていて、一日がやたらと長いのもなんだか得した気分。夕暮時が延々と九時過ぎまで続くのだ。オペラの幕間に煙草を吸いに外へ出ると、まだ夕焼けの残照が残っていて吃驚した。
最後にロンドンを訪れたのが2003年の夏。もうずいぶんとご無沙汰だ。
手許不如意の今はとても海外旅行どころではないが、思いはふと倫敦・巴里へと飛ぶ。
今日で五月も終わり。極東のこの国ではそろそろ鬱陶しい雨期が始まろうとしている。