(承前)
こうして聴いてみると、『四つの最後の歌』はこの曲順で歌われるのが最も感銘が深く、詞の内容からみても理に適っているように思われる。
開巻一番、いきなり「眠りにつこうとして」で深遠な夜の瞑想へといざなわれ、そのあとは過ぎし日を回顧するように「春」そして「九月」を走馬燈のごとく思い浮かべ、最後に壮大な日没を眺めながら、迫りくる死を静かに想起する…。
3. 眠りにつこうとして Beim Schlafengehen
1. 春 Frühling
2. 九月 September
4. 夕映えに Im Abendrot
これこそが、シュトラウスの托した最後の思いを最もストレートに伝える曲順ではないのか。
刊行譜の「1/2/3/4」はあまりにも時系列に沿って進むため、どこか予定調和的なきらいが無きにしもあらず。ハッとさせるところが皆無なのだ。
いっぽう、世界初演時の「3/2/1/4」では、第二、三曲目で「九月」→「春」といわば時間が逆行してしまうのがいただけないし、晴れやかな「春」からいきなり終曲の「夕映えに」へと唐突に進むところに、なにやら越えがたいギャップがあるように思えてならない。
リーザ・デラ・カーサが選び取った曲順は、初演時の曲順の「九月」と「春」をただ入れ替えただけにみえるが、実は熟慮を重ねた末に、従前の二通りの行き方を巧みに折衷した結果ではないだろうか。いわば両者を「いいとこ取り」した、変化と一貫性を兼ね備えた決定版ではないのか。1958年のザルツブルク実況を聴いていて、次第にそう思えてきたのである。
もしもこの時点で、デラ・カーサがベーム/ウィーン・フィルとともに同曲をステレオで再録音していたら…と、想像してみる。ひょっとして、シュヴァルツコップを凌駕するような名演奏となって、末永くスタンダードとなったかもしれない。そうすれば、この曲順もまた、多くの追随者が踏襲したはずである。
もちろん事実は相違して、デラ・カーサも、カール・ベームも、二度と『四つの最後の歌』を音盤に刻むことはなかった。彼女がたどり着いた「決定版」の曲順も、誰にも継承されぬまま、幻となり果てたのである。
デラ・カーサ自身、これを「決定版」と信じていたことは明らかである。だからこそ、十二年後の1970年に東京でデュトワと共演してこの曲を歌ったときも、同じ曲順に拠ったのであろう。
彼女にこの曲順を示唆したのは、ひょっとしてカール・ベームその人なのではないか。実のところ小生は密かにそう信じている。
シュトラウスの第一人者を自他共に任じていたベームは、熟慮の末、これこそ最も作曲家の意に沿った曲順と考えて、これをデラ・カーサに提案したのではないか。
ベームは二度とこの曲をレコーディングしなかったのだが、実演ではときおり取り上げていた。
そのなかのひとつを、非公式のCD-R盤の形ではあるが、ディスクで聴くことができる。1976年8月というから、デラ・カーサの引退後、ザルツブルク音楽祭でアンナ・トモワ=シントウと共演し、ドレスデン州立歌劇場管弦楽団を指揮した貴重なライヴである(Link 609-1)。
驚いたことに、ここで採用された曲順はデラ・カーサとの共演時と同じ「3/1/2/4」。しかもこれが稀にみる秀演なのだ。
よく知られるようにトモワ=シントウはカラヤンの指揮でこの曲の正規録音を残しているが、そこでの曲順は通常の「1/2/3/4」であるところから、この1976年のザルツブルクで曲順決定のイニシアティヴを執ったのは、明らかに指揮者ベームのほうだったと推察される。
この曲順こそはベームとデラ・カーサがふたりして創り上げた、究極の「最後の歌」だったのである。
(この連載おわり)