(承前)
マイク・アッシュマンが明らかにした「初演秘話」で最も興味深いエピソードは、シュトラウスの『四つの最後の歌』のうちの「春」が要求する最高音「ハイB(高い変ロ)」を、果たしてフラグスタートが本番で出せるかどうかが危惧され、これを歌うべきか否かがぎりぎりまで議論されていた事実である。
フルトヴェングラーが「わが忘れがたいブリュンヒルデ、イゾルデ、レオノーレ」と呼んだソプラノ[=フラグスタート]はしかし、リハーサルに入ると自分にはちょっと荷が重いと感じ始めていた──転調がそうだったし、(とりわけ)「春」の音域がハイBに達しており、彼女の限界ぎりぎりだったからだ。演奏会の二日前、レッグ[=ウォルター・レッグ、フィルハーモニア管弦楽団のオーナー]はこの初演を「管弦楽伴奏による三つの歌」だと告知さえしている。だが結局、フラグスタートは片手に自筆譜のコピーを持ちながら、「春」(彼女とフルトヴェングラーはこれを三曲目に置いた)を、そして連作の他の曲も、見事にやり遂げたのである。[…]しかしながら、このソプラノ歌手は「春」をライヴで歌うリスクを二度と冒さなかった。その後の実演(パリでのジョルジュ・セバスティアン指揮、クリーヴランドでのセル指揮での演奏を含む)では実際「三つの歌曲」として歌ったのだ。
なるほどなあ、全然知らなかった、そういう事情があったのか。
たしかに、手許にある1952年ベルリン収録とされるフラグスタートの演奏会ライヴの海賊盤(ジョルジュ・セバスティアン指揮)でも、彼女は「眠りにつこうとして」「九月」「夕映えに」の三曲しか歌っていない。
五十代に入ったフラグスタートはソプラノ歌手の常で、少しずつ進む音域低下を体験していた。シュトラウスが「春」に書き込んだ最高音「ハイB」は、この時点でもう彼女にとって限界ギリギリ、人前でしっかり出せる確信がもてなかったのだ。
刊行譜では第一曲とされる「春」が、初演時には冒頭から外され、歌手の喉が暖まって調子が出る三曲目に移されたのは、フラグスタートの声域の問題が絡んでいたと推察されるのである。
初演時の実況録音を注意して聴くと、たしかに三曲目の「春」はいささか苦しそうだ。肝腎の「ハイB」の箇所に差し掛かると、安全を期した彼女はここを低い音(おそらく低いGの音)に下げて歌い、なんとか苦境を乗り切っているのがわかる。
ついでに附言するなら、後年エリーザベト・シュヴァルツコップがセルと共演した有名なレコードでも、「ハイB」のリスクを回避するためだろう、この一曲をまるごと半音下げて歌っている。
くどいようだが、フラグスタート=フルトヴェングラーが選択した曲順は以下のとおり。
3. 眠りにつこうとして Beim Schlafengehen
2. 九月 September
1. 春 Frühling
4. 夕映えに Im Abendrot
要するにこれは、一曲目の「春」と三曲目の「眠りにつこうとして」を、ただ入れ替えただけの処置なのである。
(つづく)