アーサー・ランサム歿後40年、岩波の「アーサー・ランサム全集」刊行からも40年。
そこで思いたって始めた「ランサム・サガ」再読計画は着々と、といいたいが、このところなぜか諸事多忙につき、ゆるゆると進行中。
先に報告した第一作『ツバメ号とアマゾン号』(1967年6月刊)に引き続き、図書館から借りてきた数冊を読む。
第二巻『ツバメの谷』(1967年7月刊)、そして第三巻は飛ばして、第四巻の『長い冬休み』(1967年8月刊)へと進む。当初は巻順で行こうと思ったのだが、やはり中学生時代のひそみに倣って、刊行日を追いながら、40年前と同じ順番で読み進めることにした。
『ツバメの谷』も40年ぶり。開巻一番ジョンの不手際でツバメ号が座礁、そして沈没。マストが真っ二つに折れてしまう。おお、この始まり方は記憶しているぞ、と思ったのだが、そのあとのストーリーは綺麗サッパリ記憶の彼方。
ヨットを失ったことで子供たちは陸地での冒険を余儀なくされるのだが、そこからツバメ渓谷でのキャンプ、そして未踏の地への探検と、思いがけない展開に次ぐ展開。
まるで初めて読む思いがするのだが、不思議にも挿絵には覚えがある。急坂を滑り降りる「ズボン破りの坂」やら、五里霧中のなか道に迷う「霧にまかれて」やらは、脳細胞のどこやらでたしかに記憶していた。
読んでいて素晴らしかったのは、やはり全員で力を合わせてのカンチェンジュンガ登攀だろうか。頂上で皆が見つけたものは、思いもよらず…三十年も前の…。
もうひとつ、26章の「中継キャンプ」で、一同が野営する場面の「一晩じゅう目をさまさずにねむった探検家はひとりもいなかった。」(393頁)に続く件り。ロジャ、スーザン、ジョン、ティティがかわるがわる目を覚まし、夜のしじまと向き合う場面の静謐な美しさに心打たれた。
興味深かったのは18章の「ろう人形」で、ブラケット姉妹を拘束する迷惑な「大おば」を呪うため、ティティがその蝋人形をつくって火中に投じる場面。
[…]ティティは、おかあさんが夜話してきかせてくれたアフリカとジャマイカの話を思い出した。その一つに、おきさきが暑さのために死んでしまい、王さまが心から悲しむ話があった。王さまは、オーピというアフリカ独特の魔法をつかう魔女をよび、ひじょうに美しかったきさきの名まえを、ふたたび口にするものがないように魔法をかけよと命じた。魔女は褐色のひたいにみぞのような深いしわのある老婆だった。「そして、オーピの魔女は、きさきの名をふたたび口にするものは、そのとたんにたおれて死ぬようにと呪文をとなえて、へやの中をまわった。ぐるーり、ぐるーり、ぐるーりと……」
ランサムの自伝や評伝を詳しく読んだ者ならピンとくるだろう。
ここでティティが思い浮かべる「おかあさんが夜話してきかせてくれた」アフリカやジャマイカの話、とは、若き日にランサム自身が足繁く通ったジャマイカ出身の画家パメラ・コールマン・スミス(愛称ピクシー)のサロンで、彼女からじかに聴かされた民話「アナンシ物語」にほかならない。ランサムの民話への関心はこのとき生まれ、後年の彼をロシアへの民話収集の旅へ、ロシア革命の報道へ、エヴゲニヤ夫人との邂逅へ、バルト海での帆走へ…と誘うのだから、人生は面白い。生きてみなければわからない。
ちなみに、このコールマン・スミスの描いた挿絵ははるばる大正初年の日本へともたらされ、画家の萬鉄五郎を熱狂させることになる。世界は狭いでしょ? この話題はかつて栃木県立美術館が「ダンス! 20世紀初頭の美術と舞踊」展を催したとき、カタログ所収の拙文でちょこっと取り上げたことがある。註ではランサムの名も挙げておきましたよ、もちろん。
閑話休題。続く第四巻『長い冬休み』の読後感想はまた稿を改めて記そう。