連休の真只中とあって、混み合う電車を乗り継いで六本木へ。ここもミッドタウンへ向かう人の波でごった返している。
芝居の開演は午後一時。まだ間があるので、劇場裏の珈琲屋で一息つく。
今日は俳優座劇場に井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」の再々演を観に来た。
井上の芝居は2001年の「夢の裂け目」(新国立劇場)、2005年の「もとの黙阿彌」(新橋演舞場)しか寡聞にして知らないが、どちらも力の篭った作品だった。同行の家人はほかにもいろいろと観ているそうで、今日の「紙屋町さくらホテル」も2001年の再演(新国立劇場)に続いての見参だという。
こまつ座 第82回公演
紙屋町さくらホテル
2007年4月29日~5月5日/俳優座劇場(六本木)
キャスト
古畑健吉(売薬行商)こと長谷川清(海軍大将)/辻 萬長
神宮淳子(紙屋町ホテル・オーナー)/中川安奈
丸山定夫(新劇俳優・「さくら隊」隊長)/木場勝己
園井恵子(新劇俳優・「さくら隊」隊員)/森奈みはる
大島輝彦(元大学教授・言語学者)/久保酎吉
針生武夫(傷痍軍人こと陸軍中佐)/河野洋一郎
戸倉八郎(特高刑事)/大原康裕
熊田正子(紙屋町ホテル経営者)/栗田桃子
浦澤玲子(「さくら隊」隊員)/前田涼子
スタッフ
作/井上ひさし
演出/鵜山 仁
音楽/宇野誠一郎
美術/石井強司 照明/服部 基 音響/斉藤美佐男 振付/謝 珠栄 衣裳/前田文子
多くの井上ひさし作品と同様、この芝居も綿密な調査に基づき、具体的な日時と場所を設定し、実在の人物を登場させ、虚実を織り交ぜつつ日本人の生きた歴史を検証する。もちろん、たっぷりの笑いと涙を客席に振り撒きながら。
第二次大戦中、国民の士気を高めるため多くの「移動演劇隊」が日本各地を巡回した。多くの演劇人がこの国策宣伝のための上演に係わっていた。そのひとり、築地小劇場の花形俳優だった丸山定夫は広島を拠点に「桜隊」を結成し、中国地方を巡業した。そこには宝塚歌劇の出身で、丸山を師と仰ぐ女優・園井恵子も加わっていた。
この二人の新劇人と、天皇の密命を帯びて全国の軍施設を巡回していた海軍大将・長谷川清。これら三人は実在した人物である。それに加えて、アメリカ移民の娘としてから帰国し広島でホテルを経営する女性やら、その彼女の行動を見張る特高刑事やら、方言の調査で広島を訪れた言語学者やら、大将・長谷川の身辺を監視する陸軍中佐やらがたまたま同じホテルに居合わせる。そう、この芝居は数ある「グランドホテル」ものの一種なのだ。
1945年5月。戦争末期とあって移動演劇隊「桜隊」は出征などでメンバーの多くを失っていた。隊長の丸山はそこで窮余の一策として、身近な人間を手当たり次第に「隊員」としてリクルートし、ずぶの素人相手に築地仕込みの演技指導を施す。
実はこの芝居の登場人物のすべては、間近に迫った広島公演のため急拵えの「役者」となってしまうのである。
数日後の本番を控えて、丸山がホテルの広間でど素人たちを特訓し、「無法松の一生」のサワリを練習する、というのが「紙屋町さくらホテル」のプロットの大部分を占める。とはいえ、そこは薀蓄の劇作家・井上だけあって、この芝居全体がさながら日本新劇史講義の趣を呈する。丸山の台詞を通して築地小劇場における小山内薫、土方与志、青山杉作それぞれの演出法の違いやら、スタニスラフスキーの演出の奥義やらが伝授され、園井の口からは宝塚のワンパターン演技への自己批判が語られもする。そもそも「無法松の一生」は園井が映画で阪妻と共演した「当たり役」であり、丸山自身も文学座で「富島松五郎伝」として主役を演じたことがあったから、二人がこれを急拵えの移動演劇として演じるのは実に理に適っているのである。
それぞれ腹に一物を抱え込んだ者たちが丸山の情熱にほだされ、次第に芝居の魔力に引き込まれていく様子がたまらなく可笑しい。これは一種のメタ演劇、芝居についての芝居、演技とはなにか、をめぐっての軽妙なディスカッション・ドラマなのだ。
同時にこの芝居は、前後の「プロローグ」「エピローグ」(終戦後の東京・巣鴨拘置所)が物語るように、天皇と国家の戦争責任のありかを鋭く問う重たい劇でもあり、長谷川大将と針生中佐の軍人二人を残して、「桜隊」隊員は八月六日の原爆投下で悉く死んでしまったという無残な事実(芝居には描かれないが、勿論これこそがドラマの核心である)に、誰がどうオトシマエをつけるか、をめぐる深刻極まるディスカッション・ドラマでもあるのである。
キャストでは長谷川大将に扮した辻萬長が圧倒的に良かった(辻は初演・再演時には丸山定夫役)。あとの面々もそれぞれ健闘していたが、いかんせん演技が若すぎた。ホテルのオーナー役の中川安奈は見かけはハマリ役なのだが、どこか綺麗ごとに終始するもどかしさがつきまとう。初演の森光子や再演時の宮本信子と較べては酷だろうが、そこに居るだけでサマになる存在感がこの役には必要なのだろう。
ロビーで購めたパンフレットは秀逸な内容。実在の桜隊の辿った運命と、丸山定夫、園井恵子の生涯を丹念に跡づけていて、裨益するところがきわめて大。
たまらなく可笑しいのに真面目な問いかけがある。笑わせながら考えさせる。思い返せば井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の頃からそうだった。