昨晩から今朝にかけてロストロポーヴィチのディスクをかけた。
といっても小生は格別に彼の熱心な聴き手ではなかったから、すぐ手許で見つかったのはこんな素姓の怪しいCDでしかない。
ブラームス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
シューマン: チェロ協奏曲
ヴァイオリン=ボリス・グトニコフ
チェロ=ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ボリス・ハイキン指揮 ソヴィエト国立交響楽団
1963年10月5日、モスクワ(実況録音)
Yedang YCC 0116
あまり評判のよろしくない韓国レーベルから大量に出た、旧ソ連時代の放送録音のなかの一枚。
データが記載どおり正しいという保証もないのだが、一応これを信じておく。チェロがスラーヴァであることは誰の耳にも明らかな、柄の大きい巨匠的な演奏である。モノラル録音だが、まずまず明瞭で聴きやすい音だ。
ドッペルコンツェルトは有名なオイストラフ、セル=クリーヴランドとの共演より六年ほど遡る。相方のグトニコフも、伴奏のオーケストラも、いかにもロシア的な音色だが、ライヴならではの昂揚感にも不足しない。
次のシューマンが始まると、すぐさま「あれれっ」と気づかされる。管弦楽伴奏がいつもとたいそう異なる。いたるところで、よく言えば華麗にきらびやかに鳴る、悪く言うと虚しく狂騒的に響く(小生の率直な印象は後者なのであるが…)。盛り上がる箇所での迫力はたしかに物凄いのだが、この曲の燻し銀の魅力をぶち壊しにした感は否めない。
もうおわかりだろう、これこそ、ショスタコーヴィチがロストロ氏じきじきの要請でシューマンの「地味で鳴りの悪い」スコアに大幅の加筆改訂を行ったニュー・ヴァージョンなのである。昨日のエントリーで書いた、1971年の来日時に森正=N響と共演したのが、まさしくこれだったと記憶する。
古今東西あらゆるチェロ協奏曲をレパートリーに収め、レコーディングしたロストロポーヴィチだが、小生の知る限りでは、このシューマン=ショスタコーヴィチ版の正規録音は存在しない。その理由は定かでないが、やはりロストロ氏自身、「これはちょっとやり過ぎで、原曲を損なっている」と反省したからではなかろうか(と、これはあくまでも推測)。まあ、そうした意味からも、ボリス・ハイキン(堂々たる指揮!)と共演したこのライヴの史料的価値は高いのではなかろうか。そもそも、ショスタコーヴィチの編曲版(作品125)は1963年の仕事なので、本演奏はもしかしたら初演時のライヴかもしれない。
先だって出た英国の音楽誌 "Gramophone" 4月号の特集 Rostropovich at 80 を改めて再読したら、これはシューマンではないのだが、こんな記述に出くわした。
彼はエルガーのチェロ協奏曲を滅多に演奏しなかった。最近(2007年2月)になってBBC Legends レーベルから出た1965年のライヴは名演なのであるが。「私はこの音楽がすごく気に入っている。だが、ジャクリーヌ・デュ・プレは一年のあいだ私の弟子だったし、その彼女がこの曲にたいそうインスパイアされていた。私はといえば、この音楽に心から正直にはなれないのだ。英国は大好きなんだけどね」。
彼ほどの無敵の演奏家にも、やはり得手不得手はあるのだ。エルガーとシューマンはおそらくスラーヴァにとって二つの「躓きの石」だったのだろう。そして、その二曲こそが、ジャクリーヌ・デュ・プレの美質が最大限に発揮された演目なのであった。