サッシャ・ギトリの台本になるオペレッタはどれも台詞がやたらと多い。
小生がただひとつパリで舞台を観たことのある『La S. A. D. M. P (La Société Anonyme des Messieurs Prudents 高潔紳士合資会社)』(1931)は例外的に少なめで楽しめたが、レコードで聴く『仮面の恋 L'Amour masqué』(1923)や『モーツァルト』は、もう早口の台詞に次ぐ台詞の連続で、正直なところ耳で聴いただけではどうにもこうにもお手上げである。
前にも述べたように、『モーツァルト』も颯爽たる序曲が終わって幕が開くと、客間で貴婦人たちがぺちゃくちゃ噂話に花を咲かせていて、モーツァルトが登場するまでの二十分間というもの、延々と無駄話(もちろん実際は無駄でないのがギトリやカワードの作劇術なのだが…)が続くのが異邦人にはいかにも辛い。
正味一時間半ほどのオペレッタのうち、ほぼ一時間が台詞のみで展開されるのだ。佐伯祐三の耳に登場人物たちの会話は果たして聴き取れたのか。その日、子連れの佐伯夫妻を慮って芹沢はボックス席を用意したというから、おそらく脇から芹沢がいろいろ耳打ちしてストーリー理解を手助けしたことだろう。芹沢はフランス語の上達のため、毎週一回は芝居小屋通いをしていたので、フランス語の台詞の聴き取りではパリ在住二年の佐伯よりもずっと格上だったはずだから。
五十年後の芹沢は「愛の手紙」の意味をすっかり取り違えてしまっているが、当日はそんな不首尾はあり得ないはずだ。先のエントリーでお目にかけたように、この「手紙のアリア」のフランス語はとても平易に書かれていて(モーツァルトの婚約者の知的水準にあわせたのだろう)、これだったら芹沢はもちろんのこと、佐伯夫妻にもその意味するところがはっきり感得できただろう。
それにしても、大阪の母から切なる願いに屈して、ついにパリを去る決断をしたばかりの佐伯にとって、「故国にいるこの私を忘れないで!」と懇願するこのアリアは、さぞかし胸にぐっと迫るものであったろう。その文面は他人事ではなかったはずだ。だからこそ、佐伯は不覚にも涙を流したと考えられる。そのあと、第三幕でモーツァルトが年長の庇護者の「すぐさまパリを去り給え」との助言を容れて、後ろ髪を引かれる思いでパリをあとにする場面に到っては、佐伯自身の置かれた境遇と瓜二つではないか!
オペレッタ「モーツァルト」の第一幕の終わりで、憧れのパリに到着したモーツァルトは、嬉しさのあまり、この都をひとりの女性になぞらえて、その思いのたけを熱唱する。アリア「崇められて Etre adoré」がそれだ。その一節、
パリよ、もし君が僕を受け容れてくれたなら、
君のために、心おきなく作曲しよう、
オペラ、コメディ、
バレエ、メロディ、
デュオ! そしてシャンソン!
あらゆる調性で作曲しよう
そうすれば君が微笑み、声をあげてくれるから!
僕は君を崇めよう、もしも君が愛してくれるなら。
パリ! パリ! パリ!
を、佐伯夫妻はどんな想いで受け止めただろうか。
彼らはこのオペレッタをたいそう喜び、「これがパリだ」と言ったという。おそらく彼らにはこのアリアの心が痛いほどわかったのではなかろうか。