(承前)
ロジェストヴェンスキーが再発見した未知のショスタコーヴィチ作品は、日本では1982年に「ショスタコーヴィチ未出版作品集 The Manuscripts of D. Shostakovich」なるLP(ビクター VIC-2351)として世に出た。若き日のショスタコーヴィチを巧みに捉えた戯画家ククルィニクスィのカリカチュアで装われた印象的な一枚である。
そのB面の最後に収められていたのが「二人でお茶を(タヒチ・トロット)作品16」。一聴して吃驚したときのことを昨日のように思い出す。
今聴き直してみても、これはちょっと並ぶものなき名演である。ショスタコーヴィチの編曲の妙が、実に手に取るようにわかる。自信に満ちたテンポとアゴーギク、卓抜にして絶妙な表情づけ。繊細な味付けなのに野趣にも欠けていない。
やがてCD時代に入ると、ネーメ・ヤルヴィ(Chandos)、リッカルド・シャイー(Decca)、ドミトリー・ヤブロンスキー(Naxos)など、さまざまな指揮者がこの曲を取り上げたが、これほどの演奏に出会ったためしがない。このロジェストヴェンスキーの演奏は何度かCDでも再発されたが、現在は一時的にせよ入手できないのが残念である。
実はそれをさらに上回る凄い演奏があることを、最後にこっそり付け加えておこう。
"BBC Proms Centenary 1895-1995"(BBC DMCD 98)という「プロムス百周年」の記念本に付随した二枚組のCDの末尾に、1981年8月14日の「プロムナード・コンサート」で演奏された「タヒチ・トロット」のライヴが収録されている。これが素晴らしいのだ。上記のロジェストヴェンスキー盤をさらに凌駕する凄さといえようか。演奏はBBC交響楽団、会場はもちろんロンドンのロイヤル・アルバート・ホールである。
何を隠そう、これもまたロジェストヴェンスキーの指揮なのだ。当時ロンドンに住み、BBC交響楽団の常任指揮者を務めていた彼が、手兵を率いて行ったコンサートで、おそらくアンコール・ピースとして取り上げたときの演奏とおぼしい。年月日からみて、ひょっとして、これが「タヒチ・トロット」のソ連以外での初演だったのではないか、という気もするが定かではない。
巨大なホールを埋め尽くした聴衆は、この耳慣れない「新曲」に明らかに戸惑っている。これは一体誰の何という曲なのか、と。ところが、やがてリフレインに入ると、「おや」「なんと!」「ほほう」といったようなざわめきが聴こえ、ユーモラスなオーケストレーションの故か、ロジェストヴェンスキーの仕草がよほど面白かったのか、各所で哄笑が弾け、いつとはなしに、客席から「二人でお茶を」のメロディをなぞるハミングが渦のように沸きあがる。ユーマンズとショスタコーヴィチとロンドンの聴衆とが時空を超えて出逢い、同じ旋律を口ずさみながらひとつに溶け合うような、一場の夢のごとく美しい、あえかなひとときが現出する。
どうです、苦虫を噛み潰したショスタコーヴィチにも、こんなにも心なごむ音楽を書いた時代があったんですよ。ほら、彼が微笑みながら軽やかにステップを踏んでいますよ。ロジェストヴェンスキーの軽妙なタクトが、問わず語りにそう囁いているかのよう。
夢うつつの三分半。そして嵐のような歓声と拍手が巻き起こる。