昨日は東京では雪がちらついた。今朝も空気は冷たいものの、清々しい青空なので、六本木に出掛けることにする。
行き先は防衛庁跡地の「東京ミッドタウン」に開館したばかりのサントリー美術館、そして「国立新美術館」。どちらも初めて足を踏み入れる。正直なところ気が進まぬが、四月後半にグループ見学の引率を頼まれているので、下見をしておく必要があったのだ。
サントリー美術館は赤坂から六本木に越してきた。日本の古美術の優れたコレクションを擁する老舗館がどのような建物をつくったか、興味津々だったのだが、ちょっと拍子抜けした。外観は悪くないのだが、建物に足を踏み入れるや、そこは商業施設とフロアを共用していて、隣りは雑貨屋、通路を挟んでレストランが居並ぶといった立地条件。なんとなく、往時の「デパート内美術館」を彷彿とさせる眺めだ。
ここの開館記念展は、オーソドックスに所蔵品を並べて開館を寿ぐ展示「日本を祝う」。桃山屏風の優品やら、江戸時代の能装束やら、薩摩切子(ガラス器)やら。飛び抜けた超名作はないものの、粒よりのコレクションだ。新しい展示空間はまあ、可もなく不可もなくといったところか。天井高が増したので、今後は古美術以外の展覧会も予定されているようだ。
美術館は三・四階なので、エスカレーターで地上階まで降りて戸外に出ると、遊歩道に陽光が燦々と射して、桜並木から花弁がハラハラと散る。
その足で外苑東通りを横切り、そぞろ歩くこと五、六分。ファサードが波うつ巨大な建物が見えてきた。コレクションをもたずに「国立美術館」を名乗るのは肩書詐称ではないか、と陰口を叩かれている「国立新美術館」だ。
恐る恐る広大なエントランスへ入ると、巨大な逆円錐形の構造体がの二つそそり立つのに吃驚。よくよく見ると、なんのことはない、上面がレストランとカフェになっているのだ。
エレヴェーターで二階へ。長大な横長の壁に、同じような展示室入口の開口部がずらり並ぶさまが異様だ。展示室A、B、C…などと表示され、ただ無機的に横並びに配置された景観は、なにやら巨大な火葬場を連想させる。ここが美の墓場でないといいが…。
ちょっと覗き込むと、どの展示空間も等しなみに高い天井高(八メートル位か?)に揃えられ、変化というものが皆無。いくらなんでもこれでは画一的で無味乾燥ではないか。設計者の創意はファサードとエントランスと飲食スペースで尽きてしまい、肝腎の展示空間がおざなりになった感が否めない。
見物したのは「開館記念」と銘打たれた「異邦人たちのパリ」展。パリのポンピドゥー・センターからの借用作品展だが、標題のとおり、パリにやってきた外国人アーティストに特化しているため、ピカソはあってもマティスはない。荻須はいるのにユトリロはいない。妻のソニア・ドローネは登場、夫のロベール・ドローネは不在…。ちょっと不思議な感じがする。二百点からなる大展示なので、今日はささっと通過しただけだが、個々の作品の良し悪しはともかく、展示方法そのものが脆弱だ。巨大な空間が使いこなせていないし、羅列的なばかりでコンセプトが掴めないのがもどかしい。せっかく写真(マン・レイ、ブラッサイ、ケルテス、ジゼル・フロイント…)に焦点を当てたのなら、それに相応しい展示方法を考えておくべきだった。重たいカタログも買って読んだが、これも今ひとつ出来がよくない。ポンピドゥー側の論文が冴えないのは原文のせい? 翻訳のせい?
それにしても、(初めて訪れた不慣れな場所、ということを割り引いても)この建物には名状しがたいヨソヨソしさや疎外感が漂う。不吉な禍々しさ、とでもいおうか。同じ巨大な建物でも、本家のポンピドゥー・センターや、ロンドンのテイト・モダンは無味乾燥でも威圧的でもなく、虚仮脅かしでも非人間的でもなかったぞ。
ともあれ、これがわが国立のビジュツカンなのだ、と肝に銘じて、すごすごと退散。
そのあと広尾に出て図書館で調べものを…と思ったのだが、今日は閉館日なのであった。